「22歳のときに旅したフランスで、後に夫となる男性と知り合いました。当時の私は英語もフランス語もロクに出来なくて、カフェでミルクティーを注文してもまったく通じない。その様子を見かねて、代わりにオーダーしてくれたのがフランス人の彼でした」

 その彼と帰国後も文通を続け、数カ月後には渡仏して結婚。スイスのバーゼルからフリブール、そしてフランスのディヴォンヌへ。レストランのシェフをしていた夫の勤務先が変わる度、スイスとフランスの街を転々とした。24歳のときに、ひとり息子も誕生。

「切り絵と出会ったのはディヴォンヌに住んでいた頃。専業主婦だったので、日中、夫が仕事に出掛けてしまうと話し相手も友達もいない。異国の小さな街で、文化や風習の違いにとまどいながらの子育ては、“辛い”、“寂しい”と感じることもしょっちゅうでした」

 そんな蒼山さんを救ってくれたのが切り絵だった。「子どもが幼稚園に行っている間、ヒマだったら、やってみたら?」と、知人がすすめてくれた。その言葉に従って市販のキットを1枚仕上げてみたところ、たちまち病みつきに。

「初めてトライしたのは小さな鹿の切り絵。今、思えば、かなり下手だったんですけどね。でも、完成した作品を見て自画自賛。私、才能あるかもって(笑)。それでヤル気に火がついたんです」

 この話だけをうかがうと、「なんだ、きっかけは主婦の暇つぶしか」と思う人もいるだろう。だが、蒼山さんが切り絵にのめり込むようになったのは、“楽しさ”“暇つぶし”だけが理由ではない。趣味として切り絵を始めてしばらくの後、蒼山さんはディヴォンヌの街で理不尽ないじめに合うことになる。

「特に理由はなかったんですけどね。ただ、日本人というだけで“生理的に受けつけない”と言われてしまって。小さな街でしたから、たまたまターゲットにされたのでしょう。同じアパートに住んでいる人から“出て行け”と言われたり、ツバを吐きかけられたり。息子も小学校で毎日のように激しいいじめにあって。あの頃は本当に辛かった……」

 フランス人の夫に事情を話しても、「キミの被害妄想だろ?」と、一向にとりあってくれない。外にも家にも味方がおらず、精神的にすっかり鬱の状態に。

「あの辛い時期を乗り越えられたのは、切り絵があったおかげです。紙を切っているときだけは無心になれた。ほら、カニを食べているときと一緒です(笑)。外で嫌なことを言われたら、家に帰ってすぐに紙とハサミを取り出す。ときには、“なぜ、あんなひどいことを言われたんだろう?”と、泣きながら切っていたこともありますね。だけど、手を動かしているうちにすべてを忘れてしまう。切り絵に集中しているとポジティブな思いだけが湧いてきて、ネガティブなことはいっさい考えなくなるんです」

 そして、自分を癒してくれた切り絵で、自分以外の人たちの心も癒そうと、蒼山さんはプロになることを決意する。

  • 出演:蒼山日菜

    1970年横浜市生まれ。現在はフランス在住。2000年に切り絵に出会い、趣味としてスタート。その後、オリジナルの世界観を追求した作品を発表し続け、08年にはスイスのシャルメ美術館で開催された第6回トリエンナール・ペーパーアート・インターナショナル展覧会に出展し、アジア人初の受賞となった。その後も多数の賞を受賞し、「Newsweek」誌にて「世界が尊敬する日本人100人」にも登録される。オスカープロモーション所属。
    公式サイト http://aoyamahina.com/
    公式ブログ「a lace KIRIE」 http://ameblo.jp/hinaaoyama/

  • 取材・文:内山靖子

    ライター。成城大学文芸学部芸術学科卒。在学中よりフリーのライターとして執筆を開始。専門は人物インタビュー、書評、女性の生き方や健康に関するルポなど。現在は、『STORY』『HERS』(ともに光文社)、『婦人公論』(中央公論新社)などで執筆中。

撮影:萩庭桂太