北原さんと一緒に、東京都北区にある赤羽リハビリテーション病院を訪ねた。彼女の知人で現在リハビリを続けている萩原叔子さんを見舞うためだ。

 荻原さんは、板橋で料理屋を営んでいた。そこは北原さんと北原さんの友人知人が集まる、憩いの場だった。

「佐和子ちゃんはみんなが娘のようにかわいがっていて。……アイドルだったのよね」

「もう、過去形にするんだからー」

 そんな二人の会話は、年齢の差を感じさせず、親類以上に近い感じがする。57年間、その料理屋を切り盛りしてきた女将の萩原さんは、2度目の脳梗塞の術後、このリハビリ専門の病院に5月に入院した。

「1日の間に20分、40分、1時間、1時間半と、4回リハビリの時間があります。お風呂は1日おき。でも屋上には露天風呂まであるんですよ」

 北原さんは萩原さんがリハビリをする様子も真近で見守っていた。四つん這いになり、右手と左足を上げる動作のときは「できるかしら」と自分でもやってみていた。

 その様子に「もし自分ならば」という彼女の心持ちが嘘ではないんだとはっきりわかった。

 しかし、逆にこうも思う。他人だから、割り切れるのではないか。たとえば動けなくなった相手、認知症になった相手が、肉親の場合はどうだろうと。

 思いきって彼女にそれを問うてみた。

「そうですね。肉親の場合、気持ちに整理がつけづらいですよね。今まで親に『こうしなさい』と怒られていたのに、今度はこちらが親に対して『なんでできないの』と思う立場に逆転してしまうわけだから。でもそれも時間はかかるかもしれないけど、見方を変える、っていうことだと思うんです。施設を上手に使うことも大事だと思います。そして施設を利用するときは、そこで介護士がどんな風に相手に接しているか、見ていただくこともよいと思います。こういう場合はこうしたら楽なんだとか、きっと自分たちが自宅でできるヒントもいっぱいあると思いますから」

 高齢化社会はまだまだこれからだ。認知症は高齢者の数に比例して増えていくだろう。

「全体、というのは大変だけど、せめて病院の周囲に住む人たちに理解が行き届くといいなあと思いますね。それは子どもを見守る視点と同じなような気がします」

 子ども返り、という言葉がある。認知症はそれに似ている。ただただ無邪気に本性に戻っていくそれを「病」と呼んでいいのだろうか。

 それを北原佐和子さんの問いとして、日本中に投げかけたい。

  • 出演:北原佐和子

    1964年埼玉県生まれ。モデル、歌手から始め、人気アイドルユニット、パンジーの一員でもあった。その後、本格的に女優に。『水戸黄門』『大岡越前』といった時代劇、サスペンスドラマなど多岐にわたって出演を続ける。その一方で、ヘルパー2級の資格を取得、介護士としても現場で働く。そこで培う経験から現在は講演活動も行っている。
    公式ブログ http://ameblo.jp/kitakitasawako/
    所属「スクロール」 http://www.scroll2003.com/sawako-kitahara/
    講演の問い合わせ先 http://casting.horipro.co.jp/

  • 取材・文:森 綾

    1964年大阪生まれ。ラジオDJ、スポーツニッポン文化部記者、FM802編成部を経て、92年に上京、フリーランスに。雑誌、新聞を中心に発表した2000人以上のインタビュー歴をもち、構成したタレント本多数。自著には女性の生き方をテーマにしたものが多く『キティの涙』(集英社)、『マルイチ』(マガジンハウス)、『大阪の女はえらい』(光文社知恵の森文庫)、映画『音楽人』の原作など。
    ブログ『森綾のおとなあやや日記』 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

撮影協力:赤羽リハビリテーション病院 http://akabane-rh.jp/
撮影:萩庭桂太