私が初めて北原佐和子さんを見たのはティーン向けの女性ファッション誌『mcシスター』である。同じ年代の私たちにとって、村上里佳子と並び、北原佐和子は誌上のスターだった。しかし彼女が同誌に登場していたのは数カ月で、スタンスとしても読者モデルだったのだという。

「『mcシスター』を見た事務所のマネージャーが私をスカウトしてくれたんです。そのまま高校時代にモデルになりました。深くは考えていなかったですね」

 某校の学園祭に遊びに行った彼女はミス・ヤングジャンプの公開審査で優勝。その後、18歳で歌手としてもデビューした。

「初めてボーカルレッスンに行った日のことは忘れません。先生のところへ向かう電車の中で緊張しながらつり革を握っていた感覚まで覚えています。松田聖子さんの『風立ちぬ』を覚えていったんですが、歌い出したら先生が『へえーっ』とのけぞってしまわれて(笑)。私って下手なんだ、と思った瞬間、歌うのが嫌になりました」

 どちらかというと、並行して始めていた女優業には興味をもった。しかし、実力よりも人気が先行していた彼女に厳しい目も向けられた。

「芝居のことも、その世界の礼儀も知らずにいい役をもらっていましたから。『水戸黄門』の舞台で、当時の黄門様が『北原の芝居は下手過ぎて一緒にやりたくない』とおっしゃっていると聞き、ご本人に『どこがダメなのか教えてください』と伺ったこともあります。面と向かうと『大丈夫だよ』なんておっしゃって、若かったからそのことにまた苛立ったりして。でもその後、何度もご一緒させていただけました」

 一方で今も宝物にしている助言をくれたのが、杉良太郎だ。

「私は、顔が小さ過ぎて舞台では不利なんですね。それで杉さんに、あるとき『もっとお客さんに見やすい顔を作りなさい』と言われました。そのとき『ええっ、むずかしいです』と言ったら『そのむずかしいという言葉がいけない。佐和子のいけないところはそこだ。むずかしい、とひと言いった時点で、もうゼロ。まず、やってみます、と素直に言わないと』と言われました。それは本当にそうだと今も思います」

 黄門様に叱られ、遠山金四郎を演じた杉良太郎に救われた。そんなふうにボスたちが気にかけた北原佐和子は、たくさんの作品に欠かせない女優になっていく。

 だがもうひとつ、彼女にはどうしてもやりたいことがあったのだった。

  • 出演:北原佐和子

    1964年埼玉県生まれ。モデル、歌手から始め、人気アイドルユニット、パンジーの一員でもあった。その後、本格的に女優に。『水戸黄門』『大岡越前』といった時代劇、サスペンスドラマなど多岐にわたって出演を続ける。その一方で、ヘルパー2級の資格を取得、介護士としても現場で働く。そこで培う経験から現在は講演活動も行っている。
    公式ブログ http://ameblo.jp/kitakitasawako/
    所属「スクロール」 http://www.scroll2003.com/sawako-kitahara/
    講演の問い合わせ先 http://casting.horipro.co.jp/

  • 取材・文:森 綾

    1964年大阪生まれ。ラジオDJ、スポーツニッポン文化部記者、FM802編成部を経て、92年に上京、フリーランスに。雑誌、新聞を中心に発表した2000人以上のインタビュー歴をもち、構成したタレント本多数。自著には女性の生き方をテーマにしたものが多く『キティの涙』(集英社)、『マルイチ』(マガジンハウス)、『大阪の女はえらい』(光文社知恵の森文庫)、映画『音楽人』の原作など。
    ブログ『森綾のおとなあやや日記』 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

撮影:萩庭桂太