DJ OSSHYに初めて会ったとき気になったのは「押阪」という苗字である。往年の名司会者「押阪忍」を思い出す。もしやと思い、マネージャーさんに確認すると「はい、押阪忍の息子です」という答えがたやすく返ってきた。

 父は押阪忍、母は栗原アヤ子。昭和40年代。テレビの黄金期に、私もそういう人たちの正統派な語り口を聴いて憧れたものだ。どちらかというと、お固いイメージのご両親である。

「ディスコのDJになることをご両親は反対されたのではないですか」と尋ねると「はい、父は大反対でした」という答えが返ってきた。

「17歳からディスコに出入りし始めて、朝まで帰って来ないわけですからね。でも一昨年、休日の昼間にクラブチッタ川崎で1200人の親子を動員した『ノンアルコール・ディスコ』のイベントを見に来てくれて、父はようやくわかってくれたようでした」

 ご両親に直接、伺ってみた。

 押阪忍さんは御年78歳。奥様のアヤ子さんとは先日、金婚式を迎えられたという。良き時代の、良識あるテレビ人というお二人のイメージはそのままだ。

「ディスコDJという職業は夜のイメージが強かったですからね。お酒、煙草、不良というような言葉がつきまとう。私自身、それはいかがなものかという思いはありました。でも実際にイベントを見て、息子がやろうとしていることはもっと健康的なものだということがわかったんです。親ばかになりますが、息子は何かを変えようとしている、と確信したんですね。NHKの紅白で子ども達が踊ったり、中学にダンスのカリキュラムが入ったりと、時代も変わったんでしょう。ディスコ文化というものがあるのかどうかわからないけれど、彼はそれを作ろうとしているんだとわかったんです」

 隣りで静かに微笑んでいるアヤ子さんと目線を合わせた。

「私は……、主人は反対していましたけれど、息子が一生懸命なのもわかりましたし。身体のことを心配しながら、信じて見守ってきました」

 そのひと言に、母の愛があふれんばかりに伝わってきた。

  • 出演:DJ OSSHY

    1965年生まれ。立教高校在学中の1982年から渋谷「キャンディ・キャンディ」でDJデビュー。アメリカ留学後、伝説のディスコ「キサナドゥ」「ナパーナ」などでメインDJ として活躍。昨年DJ生活30周年を迎え、現在「Dynasty Tokyo」などでディスコイベントを企画主宰し、人気を集めている。現在「レディオ・ディスコ」(インターFM)、「ディスコ・トレイン」(TOKYO MX)テレビのレギュラー番組を持つ。本名・押阪雅彦。
    http://www.osshy.com/profile.html
    http://www.so-pro.co.jp/talent/profile_132.html

  • 出演:押阪忍 栗原アヤ子

    http://www.so-pro.co.jp/talent/oshizaka.html

  • 取材・文:森 綾

    大阪市生まれ。スポニチ大阪文化部記者、FM802開局時の編成部員を経て、92年に上京後、現在に至るまで1500人以上の有名人のインタビューを手がける。自著には『マルイチ』(マガジンハウス)、『キティの涙』(集英社)(台湾版は『KITTY的眼涙』布克文化)など、女性の生き方についてのノンフィクション、エッセイが多い。タレント本のプロデュースも多く、ゲッターズ飯田の『ボーダーを着る女は95%モテない』『チョココロネが好きな女は95%エロい』(マガジンハウス)がヒット中。
    ブログ「森綾のおとなあやや日記」 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

撮影:萩庭桂太