インターFMに連絡すると、 簡単にDJ OSSHYに会えることになった。

 番組は『レディオ・ディスコ』(金曜正午~16時)。選曲し、音源をリミックスし、しゃべる。天王洲のスタジオを訪ねると、そこにはまるでディスコのDJブースをスタジオに押し込んだような空間があった。ガラスの向こうで、白いシャツを着た茶髪の中年男がレコードを回している。この人か。うーん。やっぱりチャラいのかな。

 しばらく見ていると、口元を一文字に結んで、黙々とレコードを回している。しゃべりのコーナーではリスナーからのメッセージに自分なりの言い過ぎないコメントを添える。話題は、番組の音楽とはまったく違うイメージの花粉症の話だったが、それがかえってあたたかな誠実さを醸し出していた。70~80年代のダンスミュージックが中心とあって、リスナーも40~50代が多そうだ。

 番組が終わり、インタビューの時間になった。

「こんにちは。オッシーです。押阪雅彦と申します」

 律儀に両腕を脇につけるようにしてお辞儀する彼にちょっと面食らった。ある程度の年齢の男性の腰の低さは、長い苦労を物語る。

「ずっと曲をかけることが多かったから、あまりしゃべらなかったんですよね。昨年4月からこの番組で自分なりのしゃべりも始めて、それも含めて多くのリスナーに支持されたことが感慨深いです」

 この『レィディオ・ディスコ』の人気から、さらに今春、テレビからもお声がかかった。MXテレビの『ディスコ・トレイン』(日曜正午)が始まったのだ。

「いやもう、テレビは必死ですよ。80年代の曲をショートカットするのは意外と難しいんです。いつもあっという間に1時間が終わって、反省しきりです」

 彼を抜擢したのは、同世代のプロデューサーだった。

「そのプロデューサーさんがしばらく入院されていたとき、たまたまぼくのラジオ番組を聴いてくださっていたんです。ディスコ音楽を聴くうちに『まだまだ元気出さなきゃ』と励まされたそうで『オッシーのおかげで元気になれた』と話をもってきてくださったんです」

 MXテレビの視聴可能範囲は1500万世帯。ラジオとは格段の違いがある。

「10倍くらいの反響が来ている気がします。ぼくが主宰するディスコ・イベントに来てくださる方も回を重ねる毎に増えていますね」

 テレビ番組では何もしゃべらず、やはり口元を一文字に結んでレコードを回す。

 たぶん、お茶の間では踊り出す中年が増殖中だ。

  • 出演:DJ OSSHY

    1965年生まれ。立教高校在学中の1982年から渋谷「キャンディ・キャンディ」でDJデビュー。アメリカ留学後、伝説のディスコ「キサナドゥ」「ナパーナ」などでメインDJ として活躍。昨年DJ生活30周年を迎え、現在「Dynasty Tokyo」などでディスコイベントを企画主宰し、人気を集めている。現在「レディオ・ディスコ」(インターFM)、「ディスコ・トレイン」(TOKYO MX)テレビのレギュラー番組を持つ。本名・押阪雅彦。
    http://www.osshy.com/profile.html
    http://www.so-pro.co.jp/talent/profile_132.html

  • 取材・文:森 綾

    大阪市生まれ。スポニチ大阪文化部記者、FM802開局時の編成部員を経て、92年に上京後、現在に至るまで1500人以上の有名人のインタビューを手がける。自著には『マルイチ』(マガジンハウス)、『キティの涙』(集英社)(台湾版は『KITTY的眼涙』布克文化)など、女性の生き方についてのノンフィクション、エッセイが多い。タレント本のプロデュースも多く、ゲッターズ飯田の『ボーダーを着る女は95%モテない』『チョココロネが好きな女は95%エロい』(マガジンハウス)がヒット中。
    ブログ「森綾のおとなあやや日記」 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

撮影:萩庭桂太