萩庭桂太と私は、恵比寿で行われるという彼のダンス・イベントを撮影しにいった。DJ OSSHYは軽自動車に大量のレコードを積み、移動する。

「音源はレコードとCDを合わせ、35000枚くらいもっています。寺田倉庫など3カ所に分けてありますが」

 会場に到着すると、いやはや40~60代の阿鼻叫喚、いや、酒池肉林である。

 白いベアトップのボディコンに黒いロングヘアのダンス自慢の女性。ショートパンツにフリルブラウスの脚自慢の女性。レースのロング・ジャケットに素足にデッキシューズという男性もいる。もちろん、ずっと昔から鏡の前にいました系の銀縁メガネ、グレーのズボンの男性も。

 DJ OSSHYはそのど真ん中のひな壇の上で、また黙々とレコードを回す。いろんな人が挨拶に来る。その度に律儀にまた深々とお辞儀している。その夜も1000人単位の人が集まった。こういったディスコ・イベントが毎週のように都内のディスコやホールで行われているという。

「80年代が最初のディスコ・ブームだとすると、2000年前後に第2次ディスコブームがあったんです。青山にキサナドゥが復活したりしてね。そのとき、またメインDJとして呼ばれました。それまで90年代はいわゆるクラブのブームで、ぼくはブラックミュージックのDJをしていた。新生キサナドゥで『昔のディスコを復活してくれ』と言われたときは正直戸惑いました。でも『ハッピーバースデー』のコーナーを入れたりチークタイムをつくったり、お客さんを煽ることを恐る恐る始めたら、これが当たった。サラリーマンが行列をつくってくれました」

 そのブームは2004年頃に沈静化した。そして第3次ディスコ・ブームが今起こっている。

「去年くらいからですかね。中学校でダンスが必修科目になるとか、そういうことも影響してダンスに新しい市民権が与えられたのかもしれません。ちょうどその子達の親世代がディスコ世代でしょう。それと、80年代の楽曲にはパワーがあるんですよね。ドラマティックで力強い。若い人たちにも十分エネルギーを与えられるんですよ」

 彼はここ数年、親子でノンアルコールでディスコを楽しんでもらうというイベントも開催している。これが、本人にとっても大きな転機になったのだった。

  • 出演:DJ OSSHY

    1965年生まれ。立教高校在学中の1982年から渋谷「キャンディ・キャンディ」でDJデビュー。アメリカ留学後、伝説のディスコ「キサナドゥ」「ナパーナ」などでメインDJ として活躍。昨年DJ生活30周年を迎え、現在「Dynasty Tokyo」などでディスコイベントを企画主宰し、人気を集めている。現在「レディオ・ディスコ」(インターFM)、「ディスコ・トレイン」(TOKYO MX)テレビのレギュラー番組を持つ。本名・押阪雅彦。
    http://www.osshy.com/profile.html
    http://www.so-pro.co.jp/talent/profile_132.html

  • 取材・文:森 綾

    大阪市生まれ。スポニチ大阪文化部記者、FM802開局時の編成部員を経て、92年に上京後、現在に至るまで1500人以上の有名人のインタビューを手がける。自著には『マルイチ』(マガジンハウス)、『キティの涙』(集英社)(台湾版は『KITTY的眼涙』布克文化)など、女性の生き方についてのノンフィクション、エッセイが多い。タレント本のプロデュースも多く、ゲッターズ飯田の『ボーダーを着る女は95%モテない』『チョココロネが好きな女は95%エロい』(マガジンハウス)がヒット中。
    ブログ「森綾のおとなあやや日記」 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

協力:DJバッグ INDUSTRIA http://www.osshy.com/event/2013/event_2013_bag.html
撮影:萩庭桂太