あの頃の楽しさを―― 山下久美子
山下久美子&大澤誉志幸
- Magazine ID: 1238
- Posted: 2013.03.28
「総立ちの久美子」と呼ばれた時代があった。私もあの頃の映像が忘れられない。山下久美子のライブは日本人が初めてタテに跳んだライブだったのではなかろうか。満員の観客が総立ちになるライブは日本全国で開かれた。つまり彼女はそれだけ忙殺されていたということになる。
「ほんとにね『ここはどこ、私は誰』って思うのよ! 次のコンサート会場まで移動8時間、明日が本番、なんてことは当たり前で。本当に疲れ切っていて、もうやりたくなーいと思いながら、ステージで観客に向かったらニコッと笑っちゃった。その瞬間、私、なんなの?? って恐くなりました」
結婚、離婚、という私生活の変化を経て、2000年には双子の女の子を出産。まだ子育て真っ最中である。
「まだ子育ての渦中にいるので、全然俯瞰して考えられないんです。でも日々、正面から立ち向かわなきゃと日々がんばっていますよ。年中無休だよ? と叫びたくなりますけど(笑)。あきらめない気持ちは音楽にも通じるかな。私も少しは成長したかも」
娘さんたちは今時の音楽を聴きつつも、母親の歌を母親の歌としてリスペクトしているようだ。
「彼女たちは、今回、私が歌うのを心配しているみたい。大丈夫? とか、がんばってね、とか逆親心的な(笑)。今は仕事でお出かけすることが必然的に多いので『大黒柱がいないとヤル気出ないじゃない』なんて言うこともあります。いないからこそがんばってよ、と言うんですけど」
日々、新しい体験だと目を輝かせつつも、ぽろりとこうも言う。
「歌姫のままでいたかった、と思うこともあるな」
歌姫は健在だ。『&Friends』での彼女の今の歌唱は、昔の可愛らしい声と遜色がない。
「昔のようにはなかなか行かないですよ。気持ちはあるけれど。でも、この年でできるいい形を目指していきたい。熱く楽曲を作り続けたあの頃の楽しさを少しでも今の世の中に伝えられたらと思いますね」
いい時代を知っている、ということはそれだけで財産。でもそこで得たものを広く伝えたいという彼女の思いが、しみじみ伝わってきた。
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出演:山下久美子&大澤誉志幸
山下久美子は大分県生まれ。1980年にデビュー、『赤道小町ドキッ』など多くのヒット曲をもつ。独特の歌唱とリズミカルな動きでライブの女王とうたわれ、「総立ちの久美子」の異名をとる。2000年に双子を出産、音楽活動は緩やかに続けている。
大澤誉志幸は1957年東京都生まれ。81年にバンドデビューするが同年12月に解散。83年にソロ・デビューし、『そして僕は途方に暮れる』などのヒット曲を出す。沢田研二、吉川晃司らへの楽曲提供でもヒットを連発。99年3月に歌手活動を休止、02年に活動を本格開始。このとき名前を大澤誉志幸に改名。今年は二人のユニットで、3月25日にアルバム『&Friends』をリリース。4~5月にコンサート活動も行う。
http://www.teichiku.co.jp/artist/yamashita-ohsawa/ -
取材・文:森 綾
大阪市生まれ。スポニチ大阪文化部記者、FM802開局時の編成部員を経て、92年に上京後、現在に至るまで1500人以上の有名人のインタビューを手がける。自著には『マルイチ』(マガジンハウス)、『キティの涙』(集英社)(台湾版は『KITTY的眼涙』布克文化)など、女性の生き方についてのノンフィクション、エッセイが多い。タレント本のプロデュースも多く、ゲッターズ飯田の『ボーダーを着る女は95%モテない』『チョココロネが好きな女は95%エロい』(マガジンハウス)がヒット中。
ブログ「森綾のおとなあやや日記」 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810
撮影:萩庭桂太