ユニット誕生
山下久美子&大澤誉志幸
- Magazine ID: 1237
- Posted: 2013.03.26
山下久美子、大澤誉志幸の今回のユニットが生まれたきっかけは、大澤さんからの電話だったようだ。久美子さんは言う。
「久美子、そろそろ歌いたいんじゃないの? と誘ってくれて、それで去年、オオサワのライブにゲストで出て、オオサワ作品を歌ったの。その時の安心感というか、とてもいい感じだったので、今度は二人で歌ってみようということになりました。80~90年にかけて提供したもらった曲を軸に、新曲も書いて歌っちゃおうと」
二人は2カ月くらいかけて、レコーディングした。そうして出来上がったのが『&Friends』だ。
実は7曲目に入っている『Don’t Delay』が、大澤さんから久美子さんに提供された最初の曲だったという。二人は同じ事務所だった。大澤さんはこんな昔話をしてくれた。
「あの頃、ぼくはCloudy skyというバンドでデビューしたものの半年で解散して、アルバイトをしながら、他人の曲のコーラスをしたり、作曲をしたり、レコード会社にデモテープをもって売り込みに行ったりしてたんです。それで久美子のスタッフに声をかけてもらった。ぼくも若かったから気負っちゃって、よし、10年後、20年後にも通用する、スタンダードになるような曲をつくるぞと。それが『Don’t Delay』だった」
バンドは解散したものの、大澤さんの作品の素晴らしさは多くの人の知るところとなっていた。
「『こっちをお向きよソフィア』も、もとはといえばClowdy skyの曲だからねえ。半年くらい、先に売れちゃってる久美子がまぶしかった時期がありましたよ」
そう言う大澤さんに、えーっ、と久美子さんが意外そうに笑った。
「うれしいような悔しいそうな」と大澤さんが言った意味はそこにあった。
-
出演:山下久美子&大澤誉志幸
山下久美子は大分県生まれ。1980年にデビュー、『赤道小町ドキッ』など多くのヒット曲をもつ。独特の歌唱とリズミカルな動きでライブの女王とうたわれ、「総立ちの久美子」の異名をとる。2000年に双子を出産、音楽活動は緩やかに続けている。
大澤誉志幸は1957年東京都生まれ。81年にバンドデビューするが同年12月に解散。83年にソロ・デビューし、『そして僕は途方に暮れる』などのヒット曲を出す。沢田研二、吉川晃司らへの楽曲提供でもヒットを連発。99年3月に歌手活動を休止、02年に活動を本格開始。このとき名前を大澤誉志幸に改名。今年は二人のユニットで、3月25日にアルバム『&Friends』をリリース。4~5月にコンサート活動も行う。
http://www.teichiku.co.jp/artist/yamashita-ohsawa/ -
取材・文:森 綾
大阪市生まれ。スポニチ大阪文化部記者、FM802開局時の編成部員を経て、92年に上京後、現在に至るまで1500人以上の有名人のインタビューを手がける。自著には『マルイチ』(マガジンハウス)、『キティの涙』(集英社)(台湾版は『KITTY的眼涙』布克文化)など、女性の生き方についてのノンフィクション、エッセイが多い。タレント本のプロデュースも多く、ゲッターズ飯田の『ボーダーを着る女は95%モテない』『チョココロネが好きな女は95%エロい』(マガジンハウス)がヒット中。
ブログ「森綾のおとなあやや日記」 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810
撮影:萩庭桂太