それから数年後、彼女は名古屋のホテルのラウンジで弾くようになる。それも、自分から売り込んで。

「そのホテルのカフェでお茶を飲んでいたときに、マネージャーに『ここで弾くにはどうしたらいいんですか』と尋ねたところ、『オーディションがありますよ』と教えてもらいました。そして、そのオーディションに出た際に出会ったピアニストに『プロになるならリーダーになってバンドを組んだ方がいい』とアドバイスされて、私は『ああ、そうですね』と言ってしまいました(笑)。それがきっかけとなり、大きな出会いもあって、必要なことを現場で磨いていくことになったんです」

 しかし、自分が思い描く音の理想と現実は大きく違っていた。

「こうだ、と思って弾いても、後で録音を聴くとそれがまったく反映されていなくて。クラシックの奏法からなかなか抜け出せなかったんですね。バトルにせよソロにせよ、そこからジャズの奏法を作っていくのはとても時間がかかりました。毎日がチャレンジで、確信が得られなかった。16歳で出会ったジャズというものを形にしたい。そういう一心でしたけど、ひょっとしたら間違ってるかも、遠回りかも、という迷いもありました」

 しかしそんな彼女の魅力をちゃんと感知した演奏家がいた。ピアニストのケニー・バロンである。95年、来日中だった彼と偶然のようにセッションをする機会があった。

「曲はブルースでした。うちのバンドのメンバーはびびっちゃって『実力、バレるよ』なんて言ってたんですが、私は『だったらどれくらいダメなのか見てみようよ』って弾き始めちゃって」

 ところが、その時、彼、ケニー・バロンはただちに寺井尚子の才能を察知した。1年後、寺井のもとにケニー・バロンからやってきたオファーは「NYでアルバムの録音に参加してほしい」というものだった。

「2週間休みを取って、ニューヨークに行きました。ところが、行ってみたら、ケニーは作曲のためにバハマに行っているので、私が滞在する11日目にしか帰って来ないことがわかったんです。それで1人で10日間、ニューヨークで過ごしました。本当に必要とされてるんだろうか。曲も何をやるかわからないし、イメージもできない。落ち込みましたけど、何日目かに、よし、気持ちを切り替えようと。ニューヨークを知らないんじゃ話にならないと思って、セントラルパークや五番街を楽しんで歩きました」

 その彼女のポジティブさ、強さも音になるのだろう。やっと落ち合えたケニーとの録音にもそれが生きた。

「コードもテンポも決めないで、イメージだけでちょっとやってみない、と。それで8分間続いたセッションによる即興曲が『ロゼ・ノワール』というタイトルで彼のアルバムに収録されることになったんです。ブルックリンからマンハッタンに戻る帰りのタクシーで、私はガッツポーズをしていました。まるで真っ暗なトンネルをずっと走っていて、やっと光が見えたような気持ちでした」

 皮肉なことに16歳のとき「形にしたい」と思った彼女の思いは「形から離れる」ことで形になったのだ。つまり、ジャズとは「形にする」のではなく「自由になること」だったのである。

  • 出演:寺井尚子

    神奈川県生まれ。4歳よりバイオリンを始める。少女時代から数々の賞を受賞、1988年、ジャズ・ヴァイオリニストとしてプロ・デビュー。2003年2月、EMI移籍第1弾「アンセム」で日本ゴールドディスク大賞<JAZZ ALBUM OF THE YEAR(国内部門)>を受賞。同年12月、移籍第2弾「ジャズ・ワルツ」でスイングジャーナル誌主催ジャズ・ディスク大賞「日本ジャズ賞」を受賞。2010年3月、文化庁「芸術選奨 文部科学大臣新人賞(大衆芸能部門)」を受賞。2013年1月30日にニューアルバム「セ・ラ・ヴィ」(EMIジャパン)が発売になり、5月には全国ツアーが予定されている。
    http://www.t-naoko.com/

  • 取材・文:森 綾

    大阪市生まれ。スポニチ大阪文化部記者、FM802開局時の編成部員を経て、92年に上京後、現在に至るまで1500人以上の有名人のインタビューを手がける。自著には『マルイチ』(マガジンハウス)、『キティの涙』(集英社)(台湾版は『KITTY的眼涙』布克文化)など、女性の生き方についてのノンフィクション、エッセイが多い。タレント本のプロデュースも多く、ゲッターズ飯田の『ボーダーを着る女は95%モテない』『チョココロネが好きな女は95%エロい』(マガジンハウス)がヒット中。
    ブログ「森綾のおとなあやや日記」 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

撮影協力:STB139 http://stb139.co.jp/
撮影:萩庭桂太