天才、と言われる人たちは子どもの頃から普通とは違っていることが多い。挾間美帆もその例に漏れなかったようだ。

「初めて作曲したのは7歳のときです。小さい頃からヤマハの音楽教室に通っていて、その一環だったんです。先生がユニークで素晴らしかったこともあって、私はヤマハのパターンじゃないものばかりを書いていましたが(笑)」

 ヤマハのパターンというのは、確かにある。誰でも気持ちよく聴こえるわりと決まったコード展開で、ポピュラーソングコンテストで賞を取る曲などというのもこのパターンが多いのである。

 そこにメロディを乗せさえすれば曲になる、というものに彼女は最初から抗った。7歳や8歳でそんなことを思うことがもう、かなりすごい。その後、国立音楽大学の付属中学へ入ってクラシックピアノを学び、高校のときからは作曲科を選んだ。大学でも迷わず作曲科を専攻した。

「大学に入ってジャズに出会ったんですね。新入生歓迎演奏会で、その学校のビッグバンドが演奏したんです。みんな生き生きしていて、いいなあと思いました。それで4年間、そのとき聴いたニュータイドジャズオーケストラに所属することにしたんです」

 ジャズは楽しかった。一方で、彼女は自分が現代クラシックの作曲家になるべきなのか、映像用の作曲家になるべきなのか、演奏家の道に行くべきなのか、迷い続けていた。

「もともといろんな音楽を聴きながら育ったので、ジャンルに対して分け隔てはなかったんです。ただそのビッグバンドでジム・マクニーリー、ビンス・メンドゥーサ、マリア・シュナイダーという3人の曲を演奏したときに『これだーっ』と思ったんです。なんて魅力的なんだろうと。それで、卒業後に、その3人のうちの誰かに学びたいと、留学を決意したんです」

 その先生たちがどこの学校で教えているか、どうやって調べたの、と尋ねると、当然のようににっこり笑った。

「インターネットで調べました!」

  • 出演:挾間美帆

    1986年生まれ。2009年、国立音楽大学作曲専攻卒業。在学中より作編曲活動を行い、08年、山下洋輔の「ピアノ・コンチェルト第3番『エクスプローラー』」のオーケストレーションを担当、絶賛される。2010年、ニューヨークに留学し、2012年にマンハッタン音楽院大学院を優等で卒業。同年11月「ジャズ作曲家」としてデビューアルバム「Journey to Journey」をリリースした。2013年1月11日、東京オペラシティのニューイヤー・コンサートに登場する。
    http://www.jamrice.co.jp/miho/

  • 取材・文:森 綾

    大阪市生まれ。スポニチ大阪文化部記者、FM802開局時の編成部員を経て、92年に上京後、現在に至るまで1500人以上の有名人のインタビューを手がける。自著には『マルイチ』(マガジンハウス)、『キティの涙』(集英社)(台湾版は『KITTY的眼涙』布克文化)など、女性の生き方についてのノンフィクション、エッセイが多い。タレント本のプロデュースも多く、ゲッターズ飯田の『ボーダーを着る女は95%モテない』『チョココロネが好きな女は95%エロい』(マガジンハウス)がヒット中。
    ブログ「森綾のおとなあやや日記」 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

撮影:萩庭桂太