優勝じゃないから、辞めようと思った
古川雄輝
- Magazine ID: 1173
- Posted: 2012.11.21
古川雄輝の父親は、医学博士。難病の専門医で新薬も開発した、国際的にも有名な人だという。
「父親は研究者ですっごく頑固。自腹で研究費を出しちゃうような人。ぼくはそんなに頭もよくなかったけど、子どもの頃からなりたい職業のところに『医者』と書いていました。当たり前のように医者になるべきだと思っていた。だから大学もとりあえず理系を選んで、将来的に医学部に編入することも考えていました」
けっして成績が悪かったわけではないようだ。大学院にも合格し、エンジニアになる道もあった。
「大学で4年間、サークルでダンスをやっていたんです。週6日はダンスをしてた。ダンス以外に面白いものがなかった」
誘われて、ダンスサークルの先輩たちが2年連続優勝していたミスター慶応コンテストに出場した。
「そのとき、たまたま、今所属しているプロダクションが50周年で各大学のミスターを集めていたんです。ぼくはマスコミ就職も考えていたので、興味をもちました。でも、実際にオーディションで初めて演技をやってみたら、これが衝撃的に面白かったんです」
結果は審査員特別賞。
「優勝じゃないんだから、辞めようと思いました。ここで一番になれなかったら、芸能界なんてとても無理だろうと。武田真治さんが『おめでとう』と花束をくれるとき『いりません』って言おうと思ったくらいでした(笑)」
その後、彼は悩んだ。就活の時期も終わっている。大学院には受かっているが、やりたい学問はない。
「テレビでグランプリの人が出てきたら、きっといらっとするだろうなあと。だったら、思いきり役者をやってみたらどうかなと、あるとき、思った。父親には大反対されました。でも、ぼくは決めたから」
お父さんと似ているんだね、頑固なところ。そう声をかけると、恥ずかしそうな照れ笑いになった。
「母親に、よく言われます。お父さんの困ったところが似ているって」
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出演:古川雄輝
1987年12月18日、東京生まれ。父親の仕事の関係で7歳でカナダ・トロントへ渡り、11年間、海外で過ごす。18歳で帰国、慶應大学理工学部に入学。制御理論を学び、エンジニアを目指す。09年、ミスター慶應に選ばれたのをきっかけに翌年、新人発掘オーディションで審査員特別賞。2010年夏、役者デビュー。12月には舞台『家康と按針』に出演、翌1月にはロンドン公演も決定。2013年は出演した映画『永遠の0』(山崎貴監督)も公開予定。
オフィシャルブログ http://ameblo.jp/furukawa-yuki/ -
取材・文:森 綾
大阪市生まれ。スポニチ大阪文化部記者、FM802開局時の編成部員を経て、92年に上京後、現在に至るまで1500人以上の有名人のインタビューを手がける。自著には『マルイチ』(マガジンハウス)、『キティの涙』(集英社)(台湾版は『KITTY的眼涙』布克文化)など、女性の生き方についてのノンフィクション、エッセイが多い。タレント本のプロデュースも多く、ゲッターズ飯田の『ボーダーを着る女は95%モテない』『チョココロネが好きな女は95%エロい』(マガジンハウス)がヒット中。
ブログ「森綾のおとなあやや日記」 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810
撮影:萩庭桂太