大学を卒業後、就職することなく、その半年後にモデル事務所に所属。そもそも萩本舞
は何を目指していたか、というと。
「レポーターになるのが小さい頃から夢でした。子どもの頃、親があまりTVを見せてく
れなかったんですけど、『日立 世界ふしぎ発見』と『どうぶつ奇想天外』は見てもいい
番組で、『ふしぎ発見』のミステリー・ハンターに憧れました。知らない国に勇気を持っ
て出かけて行って、その場にある不思議というものをこの目で実際に見て、知識として取
り入れる。体験して初めて拓ける世界ってあるじゃないですか、思っていたのと違う世界
が。その先端に行きたかった」
 大学在学中に『ミス横浜市立大学』となり、それに関連する活動はしていたものの、モ
デルになったのは卒業後、表参道の街中でスカウトされてから。
「大学に行きながら、アナウンススクールにも通っていました。座っている仕事はたぶん
自分は苦手だろうなって、わかっていたんです。アナウンス系の事務所から内定はいただ
いていたんですけど、レポーターになるんだったらこっちかな、と」
 もうひとつ、ふつうの就職を選ばなかった理由がある。
「その頃から、体調が悪かったんです。健康診断で変な数値が出たらしく、このままだと
10年後に死んじゃうよ、って言われて。ただ、病名がつかなかったんですよ。そこで、だ
ったらフツウのレールに乗らなくてもいいやって。好きなことに挑戦して生きて行こうっ
て、思ったんです」
 そこから大小合わせて20から30のコマーシャルに、萩本舞は次々に出演していく。
「たぶん、そのときの流行にちょうど、合っていたんだと思います。最初は某ファストフ
ード店の広告でした。撮影現場に行ってみたらメインのキャスティングだったので、びっ
くり。他にもいろいろやりましたけど、モデルとしては、商品より目立たないから良いっ
て、言われました。フツウっぽくて、その辺に居そうだけどいない、というラインで。商
品がしっかり目立つって(笑)」
 CMのキャスティングは、たいていは、オーディションを経て決まる。そのオーディシ
ョンで、萩本舞は考えた。
「容姿がめちゃめちゃ優れているとか、演技が出来るとか、人より秀でているっていうこ
とは絶対にないので、たくさんいる候補の中で、どうやったら選んでもらえるだろうって
考えました。その企業のホームページや、その監督さんが作った作品を見て、好きな傾向
とか、きっとこういう色の洋服で言ったほうが画面に映えるだろうとか。地道に、自分な
りにその場で恥ずかしくない自分でいるために、準備はしました。
とあるコマーシャルに出たときは、そのメーカーがその商品のパッケージをいつ変えて
、どんなコンセプトで開発してきたのか、ヒストリーを全部覚えて行ったんです。オーデ
ィションのとき、みんなで楽しくトークする場面で、さりげなく〝何年にリニューアルし
たんだよね、やっぱり違うよね〟って話をしたんですよ。そこを見て、監督さんは私を採
用してくださったと、後から聞きました。そうやってたぶん、いろんな方に助けられて、
拾われて、今までやってこれたんです」