公演が始まる前に、楽屋をのぞいてみた。バルカン室内管弦楽団から来た9名が、まったりとくつろいでいる。恐る恐る、取材で来たと告げると、「よく来てくれた、ありがとう! 撮影するなら楽器を持とうか? なんでも聞いてくれ、なんでも答えるよ!」と、愛嬌たっぷり。気取ってなくて懐が深くて、気のいいおじさん&お兄さん&お姉さんたちだ。
 パーカッション担当のパトリスさんが、代表して質問に答えてくれた。
「14日間の隔離は正直、大変だったけど、でも良いこともあるんだ。いつもは飛行機で移動してすぐに公演があるから、時差ぼけを調整するのが大変なんだけど、今回はじっくり休めたし、時差ぼけはないし、それぞれ練習する時間もたっぷりあったから、準備万端さ」
 ところが公演後、指揮者・栁澤寿男の感想は、まったく異なるものだった。
「今回、演奏の出来は、正直、あまりよくありませんでした。なまってしまうんですね、感覚が。2週間離れるとこんなにもできなくなるということを、痛感しました。オーケストラは、一緒に音を出して、紙1枚ほどの違いを聞きわけながら、微妙に調整していく過程が必要なんです。すごく細かいところを聞いて聞いて、それをくり返して音を作って行く。それを日々やらずにいると、どんなに優秀なアーティストでも、こんなふうになってしまうのかと。しかもその上、舞台の上でも距離を取れとかマスクをしろとかいろいろで。それはやりにくいです。ちゃんとしたものは、なかなかできあがらない。やるのが精一杯でした。
 戦争中でも、コンサートを続けていた地域もあるんですよ、サラエボとか。それが今回コロナで、できなくなりましたから。戦争よりも、コロナは強烈だということですね。あんなに、13年も14年も積み重ねてきたものはなんだったのか……」
 パトリスの言葉も、栁澤の言葉も、両方、本当なのだろう。演奏することは喜びであり、同時に、演奏に妥協は許されない。何があっても、演奏を続けていなければ、満足できる演奏は叶わない。満足できなくても、演奏を続けて行かなければ、その先につながらない。
「日本の場合は、音楽はある種のエンタテイメントであり、まあ、芸術ですけどね。でもバルカンの彼らにとっての音楽は、人生そのものなんです。音楽というものの価値が、我々とは違う。彼らは音楽をやることによって、今日一日を生き延びていく。生きるためのモチベーションになっている。音楽をやっていることで、彼らは生きていけるんです」
 さらに栁澤は、こんな言葉を続けた。
「10年くらい前、日本公演にも来てくれたバイオリニストの女性がいるんです。まだ24歳くらいでしたが、彼女はその後、亡くなってしまったんですよ。原因は、麻薬だそうです。戦後の混乱が続いて、まだ法整備も整っていなかったですから、どうしてもそういうものが身近になってしまうんですね。今はもう、大分良くなったと聞いていますけど。
 停電が多いし、火力発電のせいで大気汚染もひどいし、無免許運転が横行して交通事情もひどいし、病院も学校も整っていないし、とにかく行政が行き届いていない時期がありました。僕もそういう中で暮らしていて、これじゃ寿命が縮まるなって、実感しました。そういう中で音楽が果たす役割は、日本にいる我々よりもずっと大きいし、また、ときには無力にもなってしまうのかもしれないし」
 そして、こんな言葉も。
「そういう厳しい環境を、日本にいる私たちは、厳しいな、酷いな、と思いがちですが、世界全体を見渡してみると、そういう地域のほうが、多いんです。そっちがスタンダードなのかもしれない。日本は特例的に平和だし、便利だし、安穏と暮らせる国なんですよ」