9名の楽団員はバルカン各地からようやく日本に入国したものの、そこからがまた大変だった。
「14日間、隔離です。日本についたのは羽田空港だったんですが、そこから成田空港そばにある大きなホテルに移動しました。でもそこは2泊だけ。そのホテルでは室内で楽器を弾くことができない規約なので、茨城県鉾田市というところにあるホテルに移動しました」
 移動はもちろん、専用のバス。
「今回、公共交通機関は1回も使っていません」
 移動先の鉾田市のホテルにも、厳しい規約が待っていた。
「一般の人と動線がまったく別になるように、出入り口は非常階段でした。エレベーターは使用禁止。隠れて使う人がいないよう、板が張ってありました。しかも我々は9人しかいないのに、ワンフロア全部借り切らないといけない。ひとりひとりが部屋に入って、シーツの交換はなし、トイレ掃除もお風呂掃除も各自がしてください、と。1日3回、館内放送が流れて、順番に食事を受け取ります。日本人向けの、ふつうの弁当です」
 とはいえ、中にはイスラム教徒のメンバーもいる。
「そう、彼らは豚肉が食べられないんです。それに、魚を食べなれていない人が多い。あちらは電力が不安定ですし、流通も発達していないので、魚を新鮮なまま運ぶのがとても難しいんですね。だから魚を食べる習慣がほとんどないに等しいんです。魚も豚肉も食べられないから、困る人もいました」
 指揮者の栁沢寿男は、この期間、管理者として同じホテルに滞在し、楽団の一行と行動をともにしていた。そこで、食べ物調達の役割も担うことに。
「近くのコンビニで、まあこれなら食べられるだろう、と思うもの、カップ麺とかを買ったり。あと、ホテルには飲み物が置いてなかったので、コーラとか毎日買って運んでいました。お菓子も買いましたね。日本のチョコレートはおいしいって、好評でしたよ(笑)」
 もちろん、隔離期間中は監視の目も注がれていた。
「メンバーそれぞれがGPSで行動を追跡されていて、毎日電話がかかってきて、ちゃんと室内にいるかどうか、映像もチェックされます。健康チェックも、本人以外の人間が体温を測って報告するんです」
 2週間後、隔離期間が終わって解放されたとき、バルカンから来た9人のメンバーは。
「疲れ切っていましたね。もう、ほとんど囚人みたいな生活でしたから」