バルカン室内管弦楽団は世界各地だけでなく日本でも毎年、定期的に演奏会を催してきた。
 2007年、当時コソボ・フィルの常任指揮者だった栁澤寿男が、旧ユーゴスラヴィアの民族同士が対立し、覇権を争っている実態を目の当たりにし、民族の融和と共栄を目指して設立した、この楽団。その誕生秘話に惹かれて聴きに来る人もいれば、バルカン地方特有の音色や曲調に心奪われる人もいる。コアなファンが待ち望む、人気のコンサートなのだ。
 2019年も日本で5回ほどコンサートを披き、大好評。2020年も開催予定だったが、コロナウイルス感染予防の見地から、メンバーの入国許可は下りなかった。2021年も、そんな状況は続いた。
「2020年の7月と9月、21年の2月、9月と予定していたのですが、すべて流れました。申請しても、箸にも棒にもかからない。外務省の人も、『無理です』のひと言です。
 とはいえ、世界的に有名な某オーケストラは2020年10月頃来日して公演しているんですよ。ですからイベントを主催したい人たちの間から苦情が殺到したのを覚えています。〝いったいどこで線引きしているんだ?〟ってね」
 公演を予定したのに、許可が下りなくてできなかった。それだけの話なら、残念でした、で終わるはず。終わらないのは、飛行機のチケット代やコンサート会場の使用料など、先行投資がすべて消えてしまうからだ。
「せっかく用意した飛行機のチケットが使えなくて、その分の払戻がないのが、とても痛かったです。中にはオープンチケットに換えてくれる航空会社もありますが、ほとんどのエアラインでは、期間中に使えなかったチケットはそのまま無駄になってしまう。そもそも、コロナ前よりも航空便の数が劇的に減っていますからね。取り直すのも大変です。正規のチケットなら払戻もあるのかもしれませんが、何10万円もする正規チケットを買う余裕は、そもそもないんです。
 会場費も、戻ってきません。公演予定日を予約して先に払い込んだ使用料は、その会場を使っても使わなくても、戻ってこないんです。ですからバルカンから人を呼べない、とわかった時点で、少しでも赤字を減らすために、バルカン応援企画としてコンサートを披いたこともありました。
 会場の定員制限も、厳しかったですね。東京都が定員の50%までOKと言っていても、保健所からは1メートルの間隔を空けろ、という通達がある。ですから座席は2席空けなくてはならない。定員が750人とすると、250人くらいしか入れてはいけない、ということになります。採算が取れない。だったらホール代を安くしてくれって、思いましたよ(笑)」
 状況が変わったのは、感染者数が減ってきた、2021年の夏の終わり頃。そこから、書類の山との格闘が始まった。
「このタイミングを逃すわけにはいきません。バルカンの人たちを招聘するためには、外務省、文化庁(文科省)、厚労省、入国管理局、検疫、法務省、在外公館に膨大な資料を提出して、申請します。2019年までは文化交流目的のビザでしたが、今はコロナの影響でビジネス目的でしか入国できませんから、興行査証申請になるんですが、とにかくすごい量の書類です」
 その努力が実って、今年2021年の11月、メンバーの入国が、ようやく認められた。セルビア、コソボ、北マケドニア、アルバニアからの9名だ。
「11月25日に7名が、26日に2名が来日しました。その4日後の30日からは誰も入れなくなりましたから、ぎりぎりでした」
 そう、オミクロン株という新たな敵の出現で、日本の入国規制がより厳しくなるその直前に、滑り込みセーフ。だが、そこからがまた大変だった。
「そもそも彼らは、日本よりずっと前から、ワクチンを打っているんです。日本はスタートが遅かったですから。で、日本がソーシャルディスタンスを言い始める前から、彼らは人との距離を取りながら生活してきた。でも問題は、彼らが打ったワクチン。日本が認めているものとは違っていたんです」
 日本では、ファイザーとモデルナが主流、アストラゼネカもある、という状況だけど、たとえばセルビアにおいては、4種類のワクチンが存在しており、どのワクチンがいいか、自分で選ぶことができるらしい。
「ファイザーとアストラゼネカと、中国製とロシア製があるそうです。でもね、紛争を終結させたのはNATOの空爆で、それを指示したのはアメリカ大統領なので、住民たちにはどうしても、アメリカへの反感がある。アメリカ製以外のワクチンを選びがちなんですよ。で、それを2回打ったうえで、陰性証明も出ているんですが、日本政府としては、アメリカ製とかイギリス製以外のワクチンをあまり認めたくないらしい。なんか、上から目線だなって(笑)」