モデルとして女優として、20代を駆け抜けた佐藤康恵だけれど、20代後半になって一時期、失速した時期がある。
「10代の頃からぶわっと仕事してきて、20代後半から急に仕事がパタッと無くなったんですよ。うえーってパニックになって、情緒不安定になりました。若い頃から売れていた子はぜったいそこで陥るものだよって言われて」
 そんなとき、彼女の前にあったのが、手作りのアクセサリーたち。
「とにかく細かい手作業が大好きで、モデルや女優の待ち時間とかに編み物をやっていたんですけど、編み物の次がビーズでバッグとか作り始め、その次がジュエリーだったんです。モデルの経験があったから、なのか、どんなジュエリーがいいか、目に浮かぶんです。たとえば18金でイニシャルを透かし彫りにして、台に白蝶貝を使えば、安っぽくならずに繊細なものができるな、とか。どんどん作って、たくさん貯まっていました。
 そんな頃、あの東日本大震災が起きて、その後のチャリティに、私物として出品したのがジュエリーでした。それを見た人が、こんなに作れるのならブランドとして出しませんか? と言われて、じゃあブランドを作ってしまおうかな、と」
 そこからの行動力が、佐藤康恵スタイル。
「まず御徒町に行ったんです。〈ジュエリーの街、御徒町〉って、ネットを検索したら出てきたものですから。行って、一般の人お断り、って貼り紙がしてあるジュエリー卸しのお店に入っていくと、スーツを着たタバコ臭いオジサンたちが出てきたので、『これこれこういうジュエリーを作りたいんですけど』って相談したら、『え! なに君、ひとりで来たの?』『名刺ないの?』とか言われて。でも一生懸命話すうちに、『わかった、いいよ』『隣のビルにこういうのやってる職人さんがいるから、紹介するよ』『それにしてもお前、勇気あるな!』って(笑)。ブランド名は〈YSジュエリー〉、ヨージヤマモトさんが好きなので、私もヤスエサトウ、イニシャルのYSにしました」