モデルの仕事は雑誌だけでなく、CMにも。
「1年間に10何本のCMに出ていたこともあります。インスタントスープとかラーメンとか、お薬とか予備校、あと、テレビのCMも。NHKの『イタリア語会話』の司会もやらせていただいて、楽しかったです。ファッションページのモデルは写真に撮られるのが仕事ですけど、声を出している自分、動いている自分を見てもらえる。15秒、30秒という短い時間内に、ディレクションされたすべてのものを詰め込んでいくのが、どんどんどんどん楽しくなりました」
 女優の仕事は、その先にあった。デビュー作は映画『バウンスko GALS』。
「その頃、塩谷瞬アクターズクリニックに通っていて、そこに原田眞人監督が見学に来て、私と佐藤仁美さん、岡元夕起子さんの3人に目を付けて下さった。3人とも同年代だけど全然タイプが違って、面白いって」
 とりわけ佐藤康恵に関しては、『個性的だから、役は作らず、まんまでいこう。とにかく自由にやれ!』というのが、原田監督のやり方。
「そう言われても、自分の中ではパニックでした。台詞も仕草も芝居も全部、『自分だったら、どうしたい?』って聞かれて、そのままやればいいって」
 とはいえ、現場には監督以外のスタッフもたくさんいる。
「母親くらいの年齢の人に、いっつも怒鳴られていました。私はヘアメイクさんにやってもらうんじゃなくて、もっと髪の毛をこうしたい、とか、つけ爪をしたいとか、アイデアを出すんですね。すると、監督はOKしてくれるんですけど、他の人たちはそれを見ていて、新人のくせに、監督に聞かれたからって自分の意見を言うなんて生意気だって。そういう時代だったんですね」
 さらに。
「その頃私、下着もなにもつけなかったんですよ。下着をつけるという意味がまったくわからなくて、モデルのときからそうでした。いっさいブラをつけなくて、しょっちゅう怒られて。『今日は、なんで履いたらいいのかわらかなかったから、履いてないです』とか(笑)」
 でもでも、味方もいた。
「桃井かおりさんもその現場にいらしたんです。私のこと、気に入って下さって、『あんたはね、自由奔放だからすごく周りにいじめられるわよ。気に入らないって言われているでしょ?』って。『でも、そのまんまでいいの、頑張りなさい』って言って下さいました」