JUWAがモデルになったのは、ハタチのとき。 「高校を卒業したとき、大学に行く気はさらさらなくて。とはいえ性格的に、ひとつのと ころに勤めて毎日同じところに同じ時間に行って同じことをする仕事は絶対に無理だとわ かっていました。でもだからといって、やりたいこともない。バックパック背負って世界 旅行に出るつもりだったんですけどね。海が好きだったので、ビーチ関係の資格を何か取 ってから出かければ、世界中どの旅先でも、食いっぱぐれることはないかなって、子ども ながらに考えていたんですけど、親とか親戚全員に反対されまして(笑)。それで、この先 どうしようか考えていたとき、深夜テレビでやっていた『ファッション通信』を見たんで す。世界のファッション情報を流している番組で、ショーのモデルたちを見て、これかな 、と。ランウェイを歩いてみたいなと思って、次の日、モデル事務所を回ったんです」  素質を見込まれ、ショーモデル専門の事務所が、受け入れてくれた。 「私、明日からモデルになる! みたいな(笑)」  とはいえ、そのまま簡単にショーモデルになれるはずもなく。 「最初は歩けなかったです。泣きました。モデルを始めてすぐに、突然、大きなステージ に抜擢されたんです。ヴァレンチノとかジバンシーが合同でやる大きなショーで、新人モ デルは私だけ、あとはベテランの大先輩モデルとか外人モデルばかりでした。新人の私は その分、新鮮に映ったらしくて、ショーのラストを飾るドレスを着ることになりました。 でもそのドレスで履く靴が、すごいピンヒール、しかもヒモで足にくっついてるだけの、 歩きにくい靴だったんです! それまで私は、部活でバスケットボールをやっていて、ス ニーカーしか履いたことのない子だったから、いきなりそんな靴を履いても全然歩けない 。リハーサルの後、担当者が駆け寄ってきて、他のモデルたちの前で、『あんた、何やっ てるの? 本番前にちゃんとウォーキングの練習しなさい!』って怒鳴られました。私は 悔しくて自分が情け無くて、いったん外に出てガン泣きして、しばらくしてから何事もな かったような顔をして戻りました。ヘアメイクを早めに仕上げてもらって、本番前、設営 中のステージを何往復も、その靴を履いて歩きました。でもね、歩けば歩くほど血豆がで きて水ぶくれができて、余計歩けなくなる。そして結局本番では、私は7点着るはずだっ たのが、たった3点に減らされていました」
 そんな屈辱の洗礼を受けた後は、順調にモデルとしてステップアップ。日本を代表する メゾンのショーには必ず顔を出す、一流モデルとして活動することに。
「でもなにかいつも、納得できずにいました。私何やってるんだろう?って。体型をキー プするのはすごく大変だし、メンタルが弱いとできない、強さが求められる仕事だと思う んですけど、ショーモデルはデザイナーの意向を考えることが多く、自分も何か作り出し たい!って思いました。私ってモデル以外できないのかな? 1回モデルを辞めてみたいな、と思い始めまし て」
 20代後半、JUWAはいったんモデルを辞め、女優になった。