女優として、杉本有美は順調なスタートを切った。上京直後の18歳のとき、TVドラマ『BOYSエステ』(2007年 テレビ東京)のヒロインをオーディションでゲット。
「『BOYSエステ』はお芝居のオーディションを初めて受けて、それでいただいたお仕事でした。でも本当にできなくて、演技のレッスンも受けていないし、とにかく台詞を間違えてはいけない、と、がむしゃらにやっていたので、あまりその時の記憶はないんです。撮影の3日目くらいに八代亜紀さんとご一緒するシーンがあって、それが一番緊張しました。とにかく毎日必死でした」
 さらにテレビドラマ『炎神戦隊ゴーオンジャー』シリーズ(2008年~ 東映)でゴーオンシルバー役、さらに舞台『中野ブロンディーズ』(2008年)」のヒロインにも選ばれた。
「舞台って楽しいなって。わからないことだらけだったんですけど、わからないことは周りの人に聞いて、教えてもらって覚えていくのも楽しかった。18、19歳くらいのときは、本当に初めてのことばかりでした」
 同時に、モデルの仕事も続けていた。さらに水着のイメージガールをやっていたことから、グラビア業界からも声がかかるようになる。
「当時、モデル業界はグラビアがタブーだったんです。グラビアに出るんだったらモデルは無理、と言われて、結局、グラビアを選ぶことになりました」
 モデルとグラビア、どう違うのか、というと。
「モデルは服を見せますけど、グラビアは私自身を見せるものかな、と思います。私も始めるまではグラビアって、ちょっといやらしいイメージだったんですけど、やってみたら、グラビアのほうが好きになりました」
 やがて杉本有美はいつのまにか、〈グラビアの女王〉と呼ばれるようになる。
「最初の4年くらいは、なんとなく、グラビアの仕事をこなしているだけでした。でも、そんな自分がイヤでした。本当はもっと良い写真を撮れるはずなのに、自分はここまでしか笑顔を出していない。表紙の撮影に行っても、早く終わらないかな、としか考えていなかった(笑)。でもグラビアって、誰にでもできるお仕事じゃないんですね。やりたくてもやらせてもらえる人は少ない。自分はせっかくこの仕事をさせてもらえるのだから、ちゃんと全力を尽くして、自分の意見も反映させて、作ることに参加しよう、と思うようになったんです」
 たとえば写真集を作るとき、コンセプト作りから参加して、衣装やシチュエイション選びにも意見を出し、写真のセレクトやタイトルにも、彼女自身の声を反映させるようになった。
「けっこう露出したきわどいポーズだけど、写真としては完成度が高い、ということもあるんです。そういうとき、事務所は写真集に載せるなって言うんですけど、私は写真の良さを尊重して、OKを出したこともあります。結局私、写真が、写真を撮られるのがスキなんですね!」
〈グラビアの女王〉という称号は、そんな彼女の努力のたまものだったのだ。