今回のYEOの取材、一切を取り仕切ってくれたのがNPO法人日本ブラインドサッカー協会で広報を担当している山本康太さん。彼もまた、偶然ブラインド・サッカーと関わるようになったひとりだ。4歳からサッカーを始めたサッカー少年だったが、大学に入ってからサッカーをプレイするだけでなく、観る楽しさにも開眼。電動車椅子サッカー、知的障がい者サッカーなどなど、さまざまな形のサッカーがあることを知った。ブラインドサッカーと出合ってからはサポーターとして大会運営を手伝うようになり、地元横浜でクラブチームの立ち上げにも参加。プレイヤーとして出場するようになり、いつのまにか普及活動にも参加するようになり。

「同じ思いで活動しているのだから、いっそ協会に入らないかと声をかけていただいて、それまで7年半勤めていた会社を辞め、転職しました。サッカーが好きで、いろんな携わり方をしてきて、自分とサッカーとの距離感をどう保ちながら生きていくのがいいのかなぁと、ずっと悶々としながら社会人生活を送ってきたので、思い切ることができました」

 フラインドサッカーと深く関わるようになった、ひとつのエピソードがある。

「プレイヤーをやったとき練習中に、他の選手と正面衝突して、鼻の骨を折ったんです。そのとき、もちろん心配してくれる声もあったんですが、周りのメンバーから『やっとブラインドサッカーの選手っぽくなったね』と言われたんです。そのとき、〝ああ、こんな世界でやっているんだ〟と衝撃を受けました。ここには競技に対する激しさ、挑む覚悟、そしてそれをしのぐ楽しさがある。それをもっとしっかり、みんなに伝えていきたいと思ったんです」

 ちなみに、ブラインドサッカーでのケガの発生率は、健常者のサッカーとほぼ同じ。しかも上達するにつれて他の選手との接触は少なくなるというから、特に危険なスポーツというわけではないらしい。

 現在山本さんの仕事は日本代表やクラブチームの強化活動、若い世代の選手の発掘と育成、視覚障がい児向けの普及活動、大会運営、普及広報活動などなど、大忙し。

「ブラインドサッカーを通じて、視覚障がい者と健常者が当たり前に混ざり合う社会の実現を目指しています。今の世の中、障がいのある人と接する機会があまりに少ないので、健常者の心の中にバリアが生まれているような気がします。その延長で、偏見とか差別が生まれてしまう。ブラインドサッカーで一緒に汗を流したり、ポジティブな交流ができれば、障がいを持つ人たちへの見方も変わると思います」

 今年リオではオリンピック&パラリンピックが開催され、4年後には東京が舞台となる。障がい者スポーツへの理解が深まれば、その分きっと、世の中全体も変わるはず。そのとき世界は健常者にとっても住みやすい、生きやすいものになるはずだ。

  • NPO法人日本ブラインドサッカー協会 

    オフィシャルサイト  http://www.b-soccer.jp/

  • 取材/文:岡本麻佑

    国立千葉大学哲学科卒。在学中からモデルとして活動した後、フリーライターに転身。以来30年、女性誌、一般誌、新聞などで執筆。俳優、タレント、アイドル、ミュージシャン、アーティスト、文化人から政治家まで、幅広いジャンルの人物インタビューを書いてきた。主な寄稿先は『éclat』『marisol』『LEE』『SPUR』『MORE』『大人の休日倶楽部』など。新書、単行本なども執筆。

  • 撮影:萩庭桂太

    1966年東京生まれ。東京写真専門学校卒業後、フリーランス・カメラマンとして活動開始。
    雑誌、広告、CDジャケット、カレンダー、WEB、等幅広いメディアで活動中。
    ポートレート撮影を中心に仕事のジャンルは多岐にわたる。
    「写真家」ではなく「写真屋」、作家ではなく職人であることをポリシーとしている。
    雑誌は週刊文春など週刊誌のグラビア撮影を始め、幅広い世代の女性ファッション誌の表紙を撮影中。
    http://keitahaginiwa.com/