口コミでサロンに来てくれたお客様をしっかりカウンセリングをした上で、さまざまなサービスをその場で提供する。そんな美容院を作るために奮闘中の新納忠幸さんは、いったいどんなキャリアの持ち主なのだろう?
 美容学校を経て地元の美容院に勤め、2年後の19歳のときにはカットを任されていたというから、かなり早いスタート。22歳のとき、ニューヨークに渡った。

「調子に乗っていたんですね。外国人の髪を切ったりブローしたり、カッコいいイメージだけ思い描いて、〝ちょっとハクを付けに行こう〟くらいの軽い気持ちでした。行ってみたら驚いたのは、当時日本ではバンバン美容雑誌に登場していた有名サロンの若手スタイリストたちが、こぞってニューヨークで修行していたんですよ。みんなハングリーで、必死でした。そんな中で僕は、外国人の髪をブローしても全然うまくいかない。難しいんです。『お前、何しに来たの?』って言われても、返す言葉もありませんでした。『ここでは泥臭く、一からやれ』と言われて、朝一番に行って掃除です。日本ではブイブイ言わせて当然のようにカットさせてもらっていたのに、見習いみたいなもの。もう、2日目の朝には帰ろうかと思った(笑)。でもひたすら掃除するうちに、だんだん受け入れてもらって、外国人の髪をブローするコツを教えてもらったり、アシスタントに付かせてもらったり。向こうでは基本給なんてないので、シャンプーしてチップをもらわないと、収入ゼロなんです。仕事は自分で取るものだ、ということを、とことん叩き込まれました」

 半年後、帰国したときには、目の色が変わっていた。元の職場に戻ったものの、今度は生ぬるい日本のサロン状況に、我慢ができなくなった。

「めちゃめちゃ温度差が出ちゃったんです(笑)。ニューヨークでいっぱい刺激を受けて、もっとこうしたい、ああしたいというアイデア満載になっていた。けれど僕が勤めていたのは東京下町にある、1日に40人くらいカットするような人気店。単価も安い普通のサロンで、そんなアイデアを持っていっても通用しない。浮くだけでした(笑)」

 そこで相談したのが、ニューヨークで知り合った先輩美容師の鈴木朋弥さん(写真 右)。 東京・青山のマンションの1室で、プライベートサロンを経営していた。口コミの顧客だけを相手にていねいに仕事をする鈴木さんを見て、『ここだ!』と直感。今までのキャリアを捨てて、新納さんは鈴木さんの店に転職。またアシスタントから、つまりは店の掃除やシャンプーボーイから、出直すことにしたのだ。

「24歳からの再スタートでした。『今までの下積みがもったいない、何考えているんだ?』って止める人もいました。だけどニューヨークで、30代の日本人スタイリストたちがシャンプーからやり直している姿を見ていましたから、僕にもできる、いや、やらなければいけないと思ったんです。そこから4年間、鈴木さんには〝早く切らせてくれ〟って毎日かけあって、ケンカばかりでしたけど(笑)。29才でスタイリストデビュー、去年ようやく暖簾分けの独立をすることが出来ました」

  • 出演:新納忠幸(にいの ただゆき)

    1977年11月7日 東京都出身。住田美容専門学校卒。23歳でNY渡米後、資生堂ビューティークリエイターSABFA卒。24歳 AYOMOT入社。2010年 shu uemura Hair & Make Contest最優秀賞。2016年 Schwarzkopf Generation Next選考メンバー。
    プライベートサロンbyAYOMOT

    オフィシャルブログ http://s.ameblo.jp/niinotadayuki/message-board.html

  • 取材/文:岡本麻佑

    国立千葉大学哲学科卒。在学中からモデルとして活動した後、フリーライターに転身。以来30年、女性誌、一般誌、新聞などで執筆。俳優、タレント、アイドル、ミュージシャン、アーティスト、文化人から政治家まで、幅広いジャンルの人物インタビューを書いてきた。主な寄稿先は『éclat』『marisol』『LEE』『SPUR』『MORE』『大人の休日倶楽部』など。新書、単行本なども執筆。

  • 撮影:萩庭桂太

    1966年東京生まれ。東京写真専門学校卒業後、フリーランス・カメラマンとして活動開始。
    雑誌、広告、CDジャケット、カレンダー、WEB、等幅広いメディアで活動中。
    ポートレート撮影を中心に仕事のジャンルは多岐にわたる。
    「写真家」ではなく「写真屋」、作家ではなく職人であることをポリシーとしている。
    雑誌は週刊文春など週刊誌のグラビア撮影を始め、幅広い世代の女性ファッション誌の表紙を撮影中。
    http://keitahaginiwa.com/