松浦俊夫は、楽譜が読めるわけではない。

 彼のプロデュースは、イメージとしての音源を列挙していき、演奏者が音を出してみて、作り上げていくというスタイルだ。

「言葉で説明することもありますが、言葉は取りようによってどうにでもなる。ぼくはこういう音を望んでいるという音源を聴いてもらって、こうしてほしいと言う。そこに実際の演奏者のインスピレーションを求めることの繰り返し。こう言うと驚かれるかもしれませんが、自分の中で『こういう音』とイメージが明確であれば、それで伝わりますね」

 ではあなたの音楽的素養はどこにあるかと尋ねると、彼は首をひねった。

「子どもの頃、父親の車の中から流れていたのは、森進一とかですよ。ただ、漠然とジャズのようなものに憧れていました。高校生のとき、マイルス・デイビスの『カインド・オブ・ブルー』と初めてであって、そのcoolnessとか狂気、閑かさのようなものを衝撃的に感じました。同時に自分じゃない何かになりたい、と思うようになった」

 1986年、高校を出たばかりの彼にさらに衝撃を与えたのが、国立代々木競技場に設置された大型テントで行われた菊池武夫によるファッション・ショーだった。

「菊池武夫さんのデザインするファッションと、音楽の融合のようなショーでした。そこにロンドンから伝わってきていた踊るジャズ・ムーブメント、デビッド・ボウイが出演した映画『ビギナーズ』に登場していたプロのジャズ・ダンサーたちが菊池さんの服を着て踊っているのを見て、ぼくの未来はここにある、と思った。ジャズとスーツ。そこにぼくの原点はあるんです」

 そのショーの1曲目がケニー・ドーハムの「アフロディジア」。奇しくもBLUE NOTEからリリースされた作品である。

「当時の光景は今もありありと目に焼き付いています。27年前のことですけど」

 翌年、西麻布にオープンしたジャズクラブでバイトを始めた。

「そこはロンドンからDJがやって来るようなお店でした。そこでその後ぼくがお世話になる桑原茂一さんと出会いましたし、U.F.O.のメンバーと出会ったのも、その店がきっかけです。多くの人と出会うことができた貴重な時間でした」

 桑原茂一のプロダクションに入ってからも、イベントの制作や広告の営業もした。誰にでも下積み時代はあるものだ。

「当時はきついと思ったけれど、ロンドンの生の情報が入り、いろんな音と接することもできました。今、その当時からの知り合いの人も多いですから」

 やがて91年11月。U.F.O.の一員としてシングルをリリース。

「音楽をつくるというよりは、U.F.O.という会社名だったので。最初は会社名が広がればいいと思っていたくらいでした。そこからぼくたちが作る楽曲が評価され始めた。92年の2作目のシングル「Loud Minority」のリリース後、新録で1曲作ってミニ・アルバムをリリースしたタイミングで、深夜放送の音楽番組の司会をすることになりました」

 それが『モグラネグラ』だった。

「半年出ていたら、電車に乗っても声をかけられるようになりましたねえ。テレビ東京とTVQ九州放送のネットという、ちょっといびつな認知になりましたが(笑)」

 U.F.O.は93年から02年までに5枚のアルバムを出した。

「12年間活動して、思うところあって独立しようと」

 彼が独立の日に選んだのは、5月31日。日韓ワールドカップ開幕の日だった。

「脱退、というニュースになるのが嫌だったんです。でも、あんまり騒がれなかったな(笑)」

 しかし、松浦俊夫がワールドワイドになっていく道筋はすでに着々と伸びていっていたのである。

  • 出演:松浦俊夫

    1990年、United Future Organization (U.F.O.)を結成し、日本におけるクラブ・ミュージックを先駆ける一人となる。12年間で5枚のフルアルバムを32カ国で発売、高い評価を得た。02年の独立後も世界中のクラブやフェスティバルでDJを続け、幅広いジャンルのアーティストのリミックスを手がける傍ら、ファッションブランドの音楽監修なども行う。また、イベント・プロデュース、コンサルティング、アーティストのエージェント業務などを通し、幅広い人脈を築く。
    http://toshiomatsuura.com
    http://www.hex-music.com

  • 取材・文:森 綾

    1964年大阪生まれ。ラジオDJ、スポーツニッポン文化部記者、FM802編成部を経て、92年に上京、フリーランスに。雑誌、新聞を中心に発表した2000人以上のインタビュー歴をもち、構成したタレント本多数。自著には女性の生き方をテーマにしたものが多く『キティの涙』(集英社)、『マルイチ』(マガジンハウス)、『大阪の女はえらい』(光文社知恵の森文庫)、映画『音楽人』の原作など。
    ブログ『森綾のおとなあやや日記』 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

撮影:萩庭桂太