オーボエを吹かなくなった宮本文昭は、その後間もなく、指揮者になった。
「生意気な言い方をしてしまうけれど、自分から指揮をしたい、と望んだわけではないんです。小澤征爾さんとか、いろんな人にやってごらん、とチャンスをいただいたので、やってみた。それだけです。
 実は、オーボエを辞めたら、ミュージシャン仲間と音楽でつながるツールがなくなってしまった。自分の中にある音楽を、お客さんに伝える道具がなくなってしまった。オーボエという道具がなくなったら、何もできない自分に気が付いたんです、遅いけど(笑)。でも指揮者として指揮棒を振れば、そのツールになる。最初はそんな気持ちで、挑戦することにしたんです」
 指揮台に立つことは、思いがけず楽しいことだったという。
「(オーボエを)吹いているときと振っているときとでは、その曲に対する印象が全然違う。これには驚きました。吹いているときは、ただただうまく吹けばいい。自分のパートのことだけ考えていました。でも指揮者としてその曲と対峙すると、曲全体の物語、全部のストーリーがだーっと頭の中に入ってくる。やる曲によっては、心臓をえぐり出されるように感じる。魂を持って行かれる。それくらいじゃないと、できない仕事なんです」
 観客もまた、熱狂的に指揮者・宮本文昭を迎えた。聴き慣れたはずのクラシックの名曲は、宮本の指揮によって新しい命を吹き込まれ、ファンを喜ばせた。
「どんな指揮者でも、足りないところはいっぱいあるんです。だからオケのみんなに助けてもらわないと、成立しない。どれだけ好感を持ってもらえるか。お前のやりたいことはわかった、と、共感してもらえるか。僕の指揮を見て、『やっぱり指揮者というのは人間力ですよね』と言った人がいるけれど、それより、演奏はみんなの善意で成り立っているんだと僕は思う。だからそのためにこちらは誠心誠意、これ以上できないっていうくらい、一生懸命にやらないと」
 そして日本各地でオーケストラを指揮する生活が8年ほど続いた頃、宮本は指揮者であることをまたも突然、辞めてしまったのだ。
「僕ね、すごい、不器用なんですよ。入れ込み過ぎちゃうんです。その作品の真髄までたどり着こうと、ベートーベンもチャイコフスキーもブラームスも、その世界観の奥の奥まで突き詰めてしまう。とりわけ、マーラーです。マーラーのシンフォニー、特に2番以降は、全部テーマが死と隣り合わせなんです。指揮者なんだから冷静でいなくちゃいけないと思うんだけど、曲の最中、真っ逆さまに地獄に堕ちるような瞬間がある(笑)。
 オーボエ奏者だった頃は、そうやって地獄を感じている指揮者のもとで演奏するのが好きでした。そのくらい入れ込んでくれる指揮者じゃないと、演奏していても面白くなかった。でも指揮する側になったら、そういう指揮って、すごく消耗するんです。終わると抜け殻になってしまう(笑)。小澤征爾さんに相談したら、『そのうち慣れるよ』って言われたし、佐渡裕さんにも話したら、『文昭さん、あなた、真面目なんだね』って(笑)。でもだからといって、中途半端にはできない。入れ込まないと、やった感がないんです。やるんだったら完全に、叩き込むようにやりたいんです。体力的にも条件的にもそれが存分にできないというのなら、やめたほうがいい」
 もちろん、他にもいろいろ、指揮台を降りる理由はあった。そして4年という年月が経ち、もう1回、一日限りで、宮本は指揮台に立つことにしたのだ。