成長期の田崎に大きな影響を与えたのは、より良い演奏家を育てるために毎夏開催される、マールボロ音楽祭だった。
「ルドルフ・ゼルキンという大ピアニストが仲間(今でも神のような存在のチェリスト、パブロ・カザルス他も)と一緒に設立した音楽祭で、私はそこに2ヶ月ほど滞在し、ゼルキンさんに叩き込まれたんです。彼は楽譜の、たとえばフォルテの位置が1ミリずれていても許さないほど謹厳で純粋な方で、作曲家の思いがすべて、という人でした。私達若者はレッスンを受けて教わるのではなく、その巨匠達と一緒に弾くことによって彼らの音楽そのもののエアを吸い込んだ。そのエアを吸い込んで、私の体の中に入っちゃっているから、それはやっぱり出さないと。出して次の世代に伝えないといけないって、思う」
 つまり演奏だけでなく、教えることも、彼女のミッション。30代からアメリカの大学で教え始め、そして2002年から彼女は音楽合宿『Joy of Music』を開いている。少人数で数日間生活をともにし、ピアノを弾くかたわら自然を愛で、ディナーの時間には自分の考えをお互いに話し合うなど、食事や料理を愉しみ、国際性や豊かな人間性を磨こうというもの。これは、彼女が、隅々までプロデュースした全くの私塾で、なによりそれが音楽家として、必要なことだからだ。
「結局音楽はテクニックよりも自分の思い、気持ちと考えの表れだと思うんです。ですから自分が自分であることを自覚し、自分の意見を人につたえることができなければ、演奏なんてできません。合宿は自己紹介から始めますけれど、日本の教育は自己表現とかそういうこと、教えないでしょう? だから最初はみんな、小声で何を言っているのかわからない。でも帰る頃には、ウルサイくらいしゃべるようになります。もちろん演奏も劇的に良くなるの」
 この合宿を終えると上手く弾く、というよりは、音がしゃべるようになるので、〈田崎マジック〉と呼ばれているとか。そんな田崎が最近、教えるのを楽しんでいるのは、40代の女性たち。『Joy of Music40+』というクラスだ。
「若い生徒たちが持っていないもの、本当にやりたいというパッションを、40代以上の女性たちは持っています。子育てを終えて、自分が中断していたピアノへの情熱が甦るんですね。しかもちょっとしかない時間を割いて通ってくるから積極的で、私に噛みついてくる。『これでいいんでしょうか?』とか『それはどういうことですか?』って熱心に質問してくれる。すでに自分を確立して、言いたいことがいっぱいあるから、ピアノも雄弁です。中には70代の生徒さんもいるの、上手です。本当に、中高年バンザイ!って感じね(笑)」

  • 出演 :田崎悦子  たざき えつこ

    桐朋学園音楽科高校卒業後、フルブライト奨学金を得てニューヨーク・ジュリアード音楽院に留学。卒業後30年間国際的に演奏活動を続けた。1971年ヨーロッパデビュー。72年カーネギーホールデビュー。79年世界的指揮者ゲオルグ・ショルティに認められ、シカゴシンフォニーとデビュー。サヴァリッシュ、スラットキン、ブロムシュテット、小澤征爾など世界第一線の指揮者と協演。日本でもN響をはじめ各地のオーケストラと協演。2015年には『三大作曲家の遺言』シリーズでベートーヴェン、ブラームス、シューベルトを演奏、絶賛を浴び、NHKBSプレミアムにて複数回放送中。アメリカワシントン大学教授、東京音楽大学教授、桐朋学園大学及び同大大学院特任教授歴任。2002年よりピアノ合宿『Joy of Music』八ヶ岳と奈良、カワイ表参道「パウゼ」にてシリーズ『Joy of Chamber Music』『Joy of Music40+』総合ディレクター。
    ホームページ http://www.etsko.jp/

    田崎悦子・ピアノリサイタル『三大作曲家の愛と葛藤』
    前編5月26日(土)2:00開演 後編10月13日(土)2:00開演 
    東京文化会館小ホール 問い合わせ先 カメラータ・トウキョウ03-5790-5560

  • 撮影協力 「カワイ音楽振興会」

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  • 取材/文:岡本麻佑

    国立千葉大学哲学科卒。在学中からモデルとして活動した後、フリーライターに転身。以来30年、女性誌、一般誌、新聞などで執筆。俳優、タレント、アイドル、ミュージシャン、アーティスト、文化人から政治家まで、幅広いジャンルの人物インタビューを書いてきた。主な寄稿先は『éclat』『marisol』『LEE』『SPUR』『MORE』『大人の休日倶楽部』など。新書、単行本なども執筆。

  • 撮影:萩庭桂太

    1966年東京生まれ。東京写真専門学校卒業後、フリーランス・カメラマンとして活動開始。
    雑誌、広告、CDジャケット、カレンダー、WEB、等幅広いメディアで活動中。
    ポートレート撮影を中心に仕事のジャンルは多岐にわたる。
    「写真家」ではなく「写真屋」、作家ではなく職人であることをポリシーとしている。
    雑誌は週刊文春など週刊誌のグラビア撮影を始め、幅広い世代の女性ファッション誌の表紙を撮影中。
    http://keitahaginiwa.com/