金ヶ江悦子の挫折
Best Beauty 100
- Magazine ID: 1206
- Posted: 2013.01.29
2010年ミス・インターナショナル日本代表。華々しい経歴をもつ金ヶ江悦子さんはもともと大阪出身で、大学生の頃、テレビ番組のレポーターなどをしているモデル志望の女のコだった。
「関西でお仕事を沢山もらっていたので、卒業したら絶対に東京へ行こうと。ドラマ出演や『東京フレンドパーク』という番組のアシスタントも務めたり、順風満帆でした。その時事務所に2009年度のミス・インターナショナルを受けるよう勧められて、最初はちょっと嫌だったんです。女性の戦いみたいなドロドロしたイメージが強くて(笑)。でもエントリーしたらテレビ用の密着取材がついたんです。密着取材がついた人の中からいつも優勝者が出ると聞かされて。これはいける、と思いました」
ところが優勝したのは別の女性だった。
「舞台の上で来るはずのスポットライトが来なかった。『落ちた人、横にはけて~』と言われて、ふらふらと舞台を降りました。そこから先は所属していた事務所も解散になり、いきなり全部なくなっちゃった。当時はもう『ミスコンテストなんて裏があるに違いない』とか、文句ばっかり言ってました。23歳、芸能界ではもうけっこういい年ですよね。何をやりたいのか、自分の方向性もわからない。お金もない。でも普通のアルバイトをするのは嫌だったんです」
自分の生かしどころが見つからない。どうやって食べていこうか。そこで彼女は自給自足を思いついた。茨城県の竜ヶ崎で畑を始めたのだ。
「『ドロついた野菜見たの初めて~』とか友達が喜んでくれるのもうれしくて。半年くらい、雑草抜いたりしてましたけど、外見も中身も腐ってました。そのうち、だんだん何してるのかわからん! と思えてきた。落ちたことの後悔より、その後の自分の腐り方への後悔が湧いてきたんです。私は文句を言い続けて生きていくのか、と」
翌年はミス・インターナショナルの年齢制限の最後の年だった。
「プライドを捨ててやり直そうと思いました。農業時代に大変だったことを思い出して、舞台に立てることをありがたく思おう、と」
2010年度の舞台での彼女はきっと笑顔が違っていたのだろう。
金ヶ江悦子は見事、日本代表の座を勝ち取ったのだった。
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出演:金ヶ江悦子(かながえ えつこ)
1985年大阪府生まれ。タレント、インストラクター。2010年度のミス・インターナショナル日本代表。
オフィシャルブログ http://ameblo.jp/kanagae-etsuko/
Best Beauty 100 http://bestbeauty100.com/ -
取材・文:森 綾
大阪市生まれ。スポニチ大阪文化部記者、FM802開局時の編成部員を経て、92年に上京後、現在に至るまで1500人以上の有名人のインタビューを手がける。自著には『マルイチ』(マガジンハウス)、『キティの涙』(集英社)(台湾版は『KITTY的眼涙』布克文化)など、女性の生き方についてのノンフィクション、エッセイが多い。タレント本のプロデュースも多く、ゲッターズ飯田の『ボーダーを着る女は95%モテない』『チョココロネが好きな女は95%エロい』(マガジンハウス)がヒット中。
ブログ「森綾のおとなあやや日記」 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810
撮影:萩庭桂太