もともと彼は、クラリネットの天才少年。8歳のときクラリネット奏者の父親から手ほどきをうけ、バルトーク音楽院の英才教育コースに進み、国際的なクラリネットのコンクールに何回も優勝・入賞を重ねている。妻の玲子さんと運命的に出会ったのは、国立リスト音楽院に進んだときのこと。玲子さんもクラリネットを学ぶため、同じリスト音楽院に日本から留学していたのだ。

「第一印象は〝めっちゃキレイ!〟でした。優しいし、物静かだし」

 玲子さんは留学生仲間でも有名な美女。10歳年上のその彼女に、当時まだ18歳だったコハーンがいったいどうやってアプローチしたのか不明だけれど、ふたりは何度もデートを重ねるようになったという。

「半年ほど経った頃、彼女とは1度もケンカしていないことに気が付いたんです。一緒にいると楽しくて、何でもわかりあえる気がした。それで、結婚したいと思いました」

 結婚して、そのままハンガリーにとどまるという選択肢もあったのでは?

「ハンガリーでは、音楽の世界はとても小さいんです。コンサートホールも少ないので、音楽で身を立てるのは難しい。彼女に出会う前から、1度は国外に出るべきだと周囲から薦められていたんです。でも彼女と離れるのはイヤだし、日本なら日常的にコンサートが開催されますし、クラシックをちゃんと勉強するには、良い環境だと思いました」

 とは言うものの、日本は遠い国。3年前、初めて来たときのことを、コハーンはよく覚えているという。

「成田から東京に向かう車の中から街の風景を見て〝ああああ、この世界は今までとはまったく違う! なにこれ? どこ?〟と思いました(笑)。ヨーロッパの都市なら、どこでも同じような雰囲気です。カルチャーも似通っているし、違和感はない。でも日本は、全然違った。モダンと伝統が一緒くたになっている。すごく現代的な高層ビルのとなりに古びた神社があったりして。面白いです!」

 以来、東京音楽大学の大学院で学ぶかたわら、クラリネットのコンクールに挑戦、数多くのトロフィーを手にした。さらに日本各地で開かれるコンサートに、積極的に参加してきた。

「僕の中身もどんどん日本的になってきています(笑)。だからハンガリーにたまに戻ると、もう自分はハンガリー人じゃないと思う。でもまだ日本人にはなりきれない。ハンガリーにいても日本にいても、ホームにいるという感覚がないんです」

 そんな彼に、グッドニュース!  12月上旬、この記事が公開される直前に、コハーンはパパになったのだ。これからは、愛する奧さんとベビーがいるその場所こそが、彼のホームだ。

  • 出演:コハーン・イシュトヴァーン(István Kohán)

    1990年生まれ。ハンガリー出身のクラリネット・ソリスト。6歳でハンガリー国立音楽学校に入学し、8歳で父の手ほどきでクラリネットを始める。以後、英才教育を受けながらクラスナ・ラースロー、サトマリ・ジョルト各氏に師事し、数多くの国際コンクールで優勝、入賞を重ねた。ハンガリー国立リスト音楽院卒業後、2013年7月より活動拠点を日本に移した。2016年3月東京音楽大学大学院修了。これまでに新日本フィルハーモニー交響楽団をはじめ多くのオーケストラとコンチェルトを競演。またソロリサイタルや室内楽の活動を展開する一方、2014年からは作曲家としても活動の幅を広げている。現在、東京音楽大学講師も勤めている。
    オフィシャル・ウェブサイト http://www.istvankohan.com/jap-home

  • 取材/文:岡本麻佑

    国立千葉大学哲学科卒。在学中からモデルとして活動した後、フリーライターに転身。以来30年、女性誌、一般誌、新聞などで執筆。俳優、タレント、アイドル、ミュージシャン、アーティスト、文化人から政治家まで、幅広いジャンルの人物インタビューを書いてきた。主な寄稿先は『éclat』『marisol』『LEE』『SPUR』『MORE』『大人の休日倶楽部』など。新書、単行本なども執筆。

  • 撮影:萩庭桂太

    1966年東京生まれ。東京写真専門学校卒業後、フリーランス・カメラマンとして活動開始。
    雑誌、広告、CDジャケット、カレンダー、WEB、等幅広いメディアで活動中。
    ポートレート撮影を中心に仕事のジャンルは多岐にわたる。
    「写真家」ではなく「写真屋」、作家ではなく職人であることをポリシーとしている。
    雑誌は週刊文春など週刊誌のグラビア撮影を始め、幅広い世代の女性ファッション誌の表紙を撮影中。
    http://keitahaginiwa.com/