ふだんのMIYAKOは極めてストイックな人だ。写真撮影や、ステージ活動の前には自らに食事制限を課し、「主食は大豆プロテイン」と笑う。

 一時期はトータルワークアウトにはまり、週3回はジムに通って体づくりに励んだ。ライブ当日は朝からランニングマシンで走り込み、トレーナーに呆れられたらしい。最近はまっているのは加圧トレーニング。

「毎日来なくていいです、って言われました(笑)」

 自分の体を管理することはプロとして当然のこと、と彼女は言う。健康を維持するということもあるが、ステージ衣装であるドレスを着こなすためにも、体づくりは欠かすことはできない。

「体ができていれば、日常着はTシャツとGパンでいい」という。そういえば昔から、ボーダーのTシャツにGパンだったなあ。今もそれは変わらない。

 ところで最近、着物の着付け師範の資格をとったという。どうも着物にはまっているようだ。いつから着物を着るようになったのだろう。

「ちょうどデビューして1年くらいかな? 一枚の着物に出合ったんです。その頃はジャズを歌っていたので、ちょっと面白い組み合わせかな、と思って」

 今でこそ、日本語の歌のイメージが強いMIYAKOだが、デビューした当初はジャズのライブが多かった。そこで、「着物 de Jazz」という企画でライブを行なったところ、大好評。今では歌だけでなく、彼女の着る着物にもファンがついているという。

 打ち合わせの席で着物姿を撮影する、と決まったときには、すかさずiPhoneに保存した着物姿の写真を何点か見せてくれたので、その場で衣装が決まった。今回の着こなしのポイントはスカルの帯留めだ。モダンな江戸小紋にはスワロフスキーが輝いている。かっこいい。

 しかし、着付けにしても、トレーニングにしても、周囲に喧伝することはない。むしろひた隠しにしているらしい。本人は「いつの間に!と驚かせるのが好きなんです」というが、努力している姿を見せないのは彼女の美学だろう。

 デビュー前には、作詞塾にも通ったらしい。それも周囲に内緒で。3カ月で100編の歌詞をひたすら書いた。しかし、採用されることはなかった。彼女の詞が最初に使われたのは、アカデミーの生徒Ayamiのデビュー曲。そして、MIYAKOのデビュー曲「逢いたくて」はもちろん彼女自身の作詞だ。

 ひそかな努力を続ける一方で、彼女はいつの間にか、超のつく有名人になる。

 そして、東日本大震災で思わぬ展開が待っていた。

  • 出演:MIYAKO

    東京都出身。1月24日生まれ。水瓶座O型。小学5年生のころから独学でピアノ、作詞作曲を始め、中学時代にはフォークソングクラブを設立し、学園祭では初めてのライブを体験。高校時代はフォーク村同好会に所属、オリジナル曲でのライブ活動を中心に、ヤマハのポプコンなどにも出場。留学先のボストンのエンディコット・カレッジでは、コマーシャルアートを専攻。卒業後はデザイナー、アートディレクター、カウンセラーなど、多彩な才能を活かし第一線で活躍。1996年、ライフワークである音楽を再開。ニューヨークのカーネギーホール、ホノルルのハワイシアターなど、世界の檜舞台を経験。2009年10月21日、MIYAKOとして念願のメジャーデビュー。透明感のある伸びやかな歌声はまさに自然体。限りなくキレイを追求する、スタイリッシュな「新世代アラフォー」。デビュー以降は、フォーシーズンズホテル椿山荘東京の「スタンダードジャズとほたるのゆうべ・ディナーショー」をはじめ、「着物 de Jazz」、年2回開催の「MIYAKO & Papa Special Live」など、精力的にライブ活動を行なう。
    2013年6月、コロムビア・マーケティング(SVACレーベル)より待望のファーストアルバム『白い花の咲くころ』を発売。全19曲入り。歌謡史100年の名曲の数々をジャズ・ピアニストの小泉宏がスウィートジャズコンボ風にアレンジし、MIYAKOが誘う魅惑の世界が完成した。。
    公式ホームページ http://www.miyako-creative.com/
    オフィシャルブログ http://ameblo.jp/miyako-creative/

  • 取材・文:加藤いづみ

    コピーライター。東京都出身。成城大学文芸学部卒。広告、SP、WEBのコピーライティング、企画のほか、1996年より某企業のPR冊子(月刊)制作を継続して手がけている。

着物衣装提供:一道(ひとつのみち)by 笠井マナブ
ヘアメイク:茂手山貴子 http://moteyama.com/
撮影:萩庭桂太