今週は「Best Beauty 100」というプロジェクトに参加している女性たちを紹介している。二人目は安藤万里子さん。学生時代からプロのダンサーとして世界的に活躍した後、現在は新しいボディコンディショニング法である『アンテクニック』の開発者・インストラクター、2つのスクール主宰として活躍する女性である。

 西麻布に構えるスタジオにお邪魔すると、和服の似合いそうな華奢な女性がスリッパを出してくれた。この人が元バレリーナ? と思えるくらい、楚々とした感じのおとなしそうな人だ。でも話を聴き始めると、その印象は一転した。

「いろいろなお稽古事をしましたが、小1でバレエを始めて、中学に入る頃にはプロになろうと思っていました。才能はありませんでしたが、努力で結果を出そうと思いました」

 ガッツのある言葉がぽんぽん並ぶ。日本でバレリーナになるには既存の大手バレエ団に入るという道が一般的だが、その道には行かず、留学を選んだ。しかもその留学先はニューヨーク州立大学。

「学力+バレエのオーディションなんです。世界から何千人も集まった中で、合格したのは60人。もちろん、私の学年では日本人は1人でした。毎年どんどん落とされていって、プロになる可能性のある人しか残らない。卒業したのは32人でした」

 普通の大学のような一般教養ももちろんあり、さらにバレエは振り付けとパフォーマンスをみっちり仕込まれる。大学2年でダンス・カンパニーのオーディションに合格してしまった彼女はプロデビューしながら学業もするという厳しい2足のわらじを履いた。

「大学で一番動いていたのが私だったと思います。4年間、睡眠時間は1日4時間以下。NYタイムスにも掲載されたり、コネチカットやニュージャージーにも遠征したり。でも誤算だったのは、バレエよりもモダンダンサーとして評価されてしまったことでした」

 自らを「天狗になりきれない性格」と笑う。アドレナリンの放出でかろうじて元気を保っているような身体で踊り続けながら、このまま行くと、どこかに落とし穴があるのではないか、と思っていたという。

「5年間のアメリカ生活の後、1年間オランダへ行きました。ヨーロッパ各地を回るツアーにも参加しました。海外に出てそこまでやっていても、これって自己満足じゃないのか、という思いが湧き上がってくるんです。『よかったよ』という激励の言葉よりも、『人ってこんなことができるんだ』という感動の言葉を引き出したい。人を本当に感動させたい。そういう気持ちが強かった」

 情熱が空回りしていた。公演する毎に吐いたり倒れたりするようになっていた。将来を期待されていたからこそ、芸術監督には「体力がないからだ。体を鍛えろ」と言われ、アメリカ有名ジムのパーソナルトレーナーをつけてもらったが、身体の状態を見誤ったサーキットトレーニングによってさらに体を壊していった。オランダでリハーサル中の怪我によって、とうとう歩けない状態にまでなってしまった。

「もともと15歳くらいから椎間板ヘルニアももっていたんです。爆弾を抱えていたのが爆発して、もう動けなくなってしまったんです。25歳でポンコツですよ」

 投げ出すように彼女はそう言った。頂点から奈落の底へ。この人は、どうやってそこを抜け出したのか。

 黙るとやっぱり大人しげな顔が、静かに微笑んでいた。

  • 出演:安藤万里子

    東京都出身。6歳からクラシックバレエを始め、ユニークバレエシアターにて16歳から公演に参加。高校を卒業後渡米し、ニューヨーク州立大学芸術学部舞踊科にて学ぶ。2001年からアメリカ、ニューヨークにてプロダンサーとしてデビュー、大学では特別奨学金を得てダンスカンパニーと学業を両立する。2003年、同大学を優秀な成績の称号(カム・ラウド)を得て卒業。同時に学部の推薦で学長からパフォーマンス賞を受賞。現在は東京・西麻布でスタジオ「西麻布サロン」を開き、ボディ・コンディショニングを指導する。
    西麻布サロン http://mariko-a.com/

  • 取材・文:森 綾

    大阪市生まれ。スポニチ大阪文化部記者、FM802開局時の編成部員を経て、92年に上京後、現在に至るまで1500人以上の有名人のインタビューを手がける。自著には『マルイチ』(マガジンハウス)、『キティの涙』(集英社)(台湾版は『KITTY的眼涙』布克文化)など、女性の生き方についてのノンフィクション、エッセイが多い。タレント本のプロデュースも多く、ゲッターズ飯田の『ボーダーを着る女は95%モテない』『チョココロネが好きな女は95%エロい』(マガジンハウス)がヒット中。
    ブログ「森綾のおとなあやや日記」 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

撮影:萩庭桂太