2008年、友人の勧めでツイッターを始めた。当時はまだ、限られた人のネットワークだったツイッターはMIYAKOの歌のターゲットに一致していたらしい。登録すると、瞬く間にフォロワーが2万人に達し、気づいたときには17万人を超えていたという。

 また、ファンの一人がMIYAKOオリジナルの顔文字を作ってくれたことで、さらにネット上の有名人になっていった。ちなみにこの顔文字は3000種類もあり、今も彼女のSNS上で毎日発信されている。

「当時はまだ、芸能人でツイッターを利用している人は少なくて。あっという間にフォロワー数4位か5位までいったんです。だけど、毎日ツイートに返事しているうちに、だんだん疲れてきちゃって」

 そんなときに東日本大震災が起きた。

 2011年3月11日。その日の夜に、ツイッターで知り合った仲間たちと、自分たちで何ができるかを相談し合った。そして3月31日、前日から銀座4丁目で支援物資の寄付を呼びかけ、手配した4トントラックいっぱいの物品を南相馬市に送ることができた。

 同年夏の「東松島ありがとうフェスタ2011」では、1万発の花火をSNSの仲間たちと実現した。打ち上げのセレモニーでは「Amazing Grace」を唄い、2万人の観衆とともに祈りを捧げた。

 また、今年2013年の5月には、自衛隊のブルーインパルスで町おこしをしたい、という東松島のために「ブルーインパルス音頭」のCD化にも協力した。

「私たちは、現地の人がやりたいことや、要望に答えていくしかないと思うんです。こちらで考えたことは相手にとって迷惑かもしれない。だから、本当に必要なことを教えてもらって、できることを続けていきたいと思います」

 アーティストとしてMIYAKOができることを続ける。たとえばCDの売り上げの一部を「ブルーインパルス音頭」の制作費に充てたり、チャリティライブに出演したり。震災後、東京で開催したライブはU-STREAMで配信し、仮設住宅のスクリーンを通じて歌を聴いてもらった。

「そのとき聴いてもらいたいと思ったのは、ゴスペルでもなく童謡でもない。それぞれの人が過ごしてきた時代の歌です。歌を聞いた人は、子ども時代や、お母さんのことを思い出した、と言ってくれました」

 子どもの頃に口ずさんだ歌を聴くと、一瞬にしてその時代に戻れるような気がする。歌には、そんな力がある。

 そこでMIYAKOが取り組んだのは、日本の歌謡史100年から歌う曲を選ぶこと。はたして、膨大な曲目の中から選ばれた曲とは?

  • 出演:MIYAKO

    東京都出身。1月24日生まれ。水瓶座O型。小学5年生のころから独学でピアノ、作詞作曲を始め、中学時代にはフォークソングクラブを設立し、学園祭では初めてのライブを体験。高校時代はフォーク村同好会に所属、オリジナル曲でのライブ活動を中心に、ヤマハのポプコンなどにも出場。留学先のボストンのエンディコット・カレッジでは、コマーシャルアートを専攻。卒業後はデザイナー、アートディレクター、カウンセラーなど、多彩な才能を活かし第一線で活躍。1996年、ライフワークである音楽を再開。ニューヨークのカーネギーホール、ホノルルのハワイシアターなど、世界の檜舞台を経験。2009年10月21日、MIYAKOとして念願のメジャーデビュー。透明感のある伸びやかな歌声はまさに自然体。限りなくキレイを追求する、スタイリッシュな「新世代アラフォー」。デビュー以降は、フォーシーズンズホテル椿山荘東京の「スタンダードジャズとほたるのゆうべ・ディナーショー」をはじめ、「着物 de Jazz」、年2回開催の「MIYAKO & Papa Special Live」など、精力的にライブ活動を行なう。
    2013年6月、コロムビア・マーケティング(SVACレーベル)より待望のファーストアルバム『白い花の咲くころ』を発売。全19曲入り。歌謡史100年の名曲の数々をジャズ・ピアニストの小泉宏がスウィートジャズコンボ風にアレンジし、MIYAKOが誘う魅惑の世界が完成した。。
    公式ホームページ http://www.miyako-creative.com/
    オフィシャルブログ http://ameblo.jp/miyako-creative/

  • 取材・文:加藤いづみ

    コピーライター。東京都出身。成城大学文芸学部卒。広告、SP、WEBのコピーライティング、企画のほか、1996年より某企業のPR冊子(月刊)制作を継続して手がけている。

撮影協力:art cafe Friends http://www.artcafefriends.jp
ヘアメイク:茂手山貴子 http://moteyama.com/
撮影:萩庭桂太