わざわざ炎天下、ボールを蹴る写真を撮りにいったのには理由があった。

 柿澤勇人は高校時代までプロのサッカー選手を目指していたのである。

「小1のときにJリーグができたんです。サッカーに憧れて、サッカー選手になろうと頑張っていました。4つ上の兄の影響もありましたけどね」

 ただ中学の頃、反抗期があった。

「体力もあってガキ大将的な感じでケンカばっかりしてて。悪い先輩にくっついて、家に帰らなかったりしてたんですよ。同じ私立の中高で、上の学年にいた兄に『カッキーJr.が大変らしい』という噂が回っちゃったんですね。それで先輩といろいろあったときに、久しぶりに家に帰ったら兄が玄関で待ってて、ぼこぼこにされたんです。『学校を辞めて悪い道に進むのか、サッカーで真剣にやるのかどっちかにしろ』と言われて、泣きながら『サッカーやります』と言ってました」

 まるで星一徹のような父性をもったおにいちゃんだ。

「兄は『サッカーをやるなら学校を変われ。今の学校はスポーツするような学校じゃないから。親に高い授業料払わせて行く意味ないから』と言いました。今思えば、兄もひと通り悪いことも経験してわかっていたんですよ。ほんと、親父は不器用で口べただから、親父っぽいことをしてくれたのはアニキです」

 その後、柿澤さんは中高一貫のその私立から、サッカー専攻のある高校へ移った。頑張ればプロにもなれるという話だった。

「移ってみたら、まあそんなちょっと自信のあるヤツが200人くらいいたんです。セレクションというか、技術テストがあって、それでもうこれはダメだなとすぐにわかりました。本当にすごいヤツは才能もセンスも違う。こんなはずじゃなかった、と」

 ひとつの夢が消えていきそうな夏。もうサッカーでプロになるのは無理だ。…そんなことをぼんやりと考えていた、夏。

「ちょうど夏休み前に『芸術鑑賞会』という行事があって、普段なら能とか歌舞伎なのに劇団四季の『ライオンキング』を観たんです。それは衝撃的な出会いでした。なんだ、これ!という感じ。こんな世界があるなら、高校を卒業してチャレンジしてみたいと思いました。推薦で大学が決まってから、高3で夜に役者の養成所に通いました」

 ダンス。バレエ。歌。レッスンは彼をいきいきさせたが、親はもちろん芸能界入りを反対した。

 実は彼の祖父は清元榮三郎という三味線奏者、曾祖父の清元志津太夫は浄瑠璃の語り手で、ともに人間国宝だ。

「芸事の家だからこそ、芸は厳しいものなんだと。でも僕はやりたかった」

 大学1年生の秋、劇団四季のオーディションがあった。

 100倍以上の競争率のなか、柿澤勇人は合格した。

  • 柿澤勇人

    1987年神奈川県生まれ。勇人と書いてはやと、と読む。幼少時からサッカーに打ち込み、名門・都立駒場高校にスポーツ推薦で入学。しかし高1のときに観た『ライオンキング』に衝撃を受け、卒業後、07年に劇団四季の養成所へ。半年で『ジーザス・クライスト=スーパースター』で舞台デビュー。数々の主役をつとめ、09年末、新たな活動を求めて退団。11年からホリプロ所属。映画、ドラマへと活躍の場を広げている。
    公式HP http://horipro.co.jp/talent/PM058/
    『タイトル・オブ・ショウ』HP http://www.titleofshow.jp/

  • 取材・文:森 綾

    1964年大阪生まれ。ラジオDJ、スポーツニッポン文化部記者、FM802編成部を経て、92年に上京、フリーランスに。雑誌、新聞を中心に発表した2000人以上のインタビュー歴をもち、構成したタレント本多数。自著には女性の生き方をテーマにしたものが多く『キティの涙』(集英社)、『マルイチ』(マガジンハウス)、『大阪の女はえらい』(光文社知恵の森文庫)、映画『音楽人』の原作など。
    ブログ『森綾のおとなあやや日記』 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

撮影:萩庭桂太