HEXの生演奏はすさまじかった。全員が超絶技巧をもち、かつ音に言いようのない色気がある。そこへ、音楽とあいまったビジュアルが重なる。視覚と聴覚を完全に征服されてしまったような、快感。脳みそ溶けそう。
 
 そう言えば大阪で、FM局にいた20数年前によく「とろけそうな音楽」を「トロトロやで」と言ったものだったが、まさにそれを思い出した。

 ……久々に聴く、トロトロである。

 2~3曲演奏したところで、EGO-WRAPIN’のボーカリスト、中納良恵が登場。

 いきなり「HEX! HEX!」 とシャウトし、メンバーの意表を突く。歌い出せばもう彼女のブルースの独壇場だ。その曲名も『Osaka Blues』。1962年、ホレス・シルヴァーがリリースした『Tokyo Blues』のカヴァー。今回のHEXのアルバムでは、中納が自ら日本語詞を書き下ろした。

 松浦俊夫は舞台ではなく、PAブースでずっと演奏を見守っていた。ほとんど動かず、舞台を一心に見つめている。すべての演奏が終わったとき、うつむいて、にやりとした。そしてすぐに、彼らのもとへと走っていった。

 後日、その日の感想を尋ねた。

「本番でギアが2段階、3段階と上がるのを感じました。BLUE NOTEからのオファーは、ライブでできるものをやってほしいということでした。ぼく自身も、バンドでありながらもプラスアルファとしてビジュアルをリンクさせたり、視覚的なものと混じり合って表現されるものにしようと」

 あのにやり、はその成功の嬉しさだったのだろうか。

「うーん。……最初は『HEXってどうなんだろう』と動揺しているお客さんの背中が、だんだん熱を帯びるのを見るのが感動的だったんですよ。これまで、DJとしてはお客さんの前に立つことが多かったんだけど、前から見るのと背中から見るのはこんなに違うんだな、と。今後、ぼくもステージに移動することがあるかもしれませんが、とにかくこの1回目は、外から見守ろうと決めていたんです」

 HEXにとっての松浦俊夫は指揮者。舞台をはずれたところにいる指揮者なのである。

  • 出演:松浦俊夫

    1990年、United Future Organization (U.F.O.)を結成し、日本におけるクラブ・ミュージックを先駆ける一人となる。12年間で5枚のフルアルバムを32カ国で発売、高い評価を得た。02年の独立後も世界中のクラブやフェスティバルでDJを続け、幅広いジャンルのアーティストのリミックスを手がける傍ら、ファッションブランドの音楽監修なども行う。また、イベント・プロデュース、コンサルティング、アーティストのエージェント業務などを通し、幅広い人脈を築く。
    http://toshiomatsuura.com
    http://www.hex-music.com

  • 取材・文:森 綾

    1964年大阪生まれ。ラジオDJ、スポーツニッポン文化部記者、FM802編成部を経て、92年に上京、フリーランスに。雑誌、新聞を中心に発表した2000人以上のインタビュー歴をもち、構成したタレント本多数。自著には女性の生き方をテーマにしたものが多く『キティの涙』(集英社)、『マルイチ』(マガジンハウス)、『大阪の女はえらい』(光文社知恵の森文庫)、映画『音楽人』の原作など。
    ブログ『森綾のおとなあやや日記』 http://blogs.yahoo.co.jp/dtjwy810

撮影:萩庭桂太