27歳で日本での芸能活動を一時休止し、渡米。それには理由があった。
「僕のセクシュアリティの問題です。その頃僕は、自分がゲイであることを隠していました。10代でデビューして、ファンは若い女の子が圧倒的に多かったんです。インタビューされると必ず『清貴君はどんな女性が好きですか?』『どんなクリスマス・デートの思い出がありますか?』みたいな質問をされる。すると僕は、嘘をつかなければならないんです。そして1回嘘をつくと次からは、つじつまを合わせるためにさらに嘘を重ねていくことになる。それがどんどんどんどん、つらくなっていました。人と会うときも、自分のまわりに厚い壁を作ってから接していました。自分のことを素直にストレートに表現できなくて、人に会うのが苦痛でした」
 自分がゲイであることを公表してしまいたい、と当時、何度も思ったという。
「でも、相談できる人がいなかった。自分はデビューした以上、商品なのだから、マイナス要素のことを公表してしまったら、みんなに迷惑をかけることになる。だから言えない。でも、もう限界だ、と思いました」
 2010年、渡米。もちろんアメリカ行きの主な目的は、音楽。自分が影響を受けたアーティストたちが生まれた本場で、自分を試したいと思ったから。同時にアメリカで過ごす日々は、自分を見つめ直す時間にもなった。
 2010年当時、大統領はバラク・オバマ。マイノリティに理解を示し、LGBTのコミュニティを支援してきた人物だ。そのせいか、
「みんなすごくフランクに接してくれるんです。たまたま知り合った女の子が、普通の調子で『だってあなた、ゲイでしょ? 私に興味なさそうだし』って(笑)。だんだん僕も、『なんで隠しているんだろう? 別に悪いことをしているわけじゃないのに』って思うようになりました。
 世の中には人種や宗教でこんなにも違う価値観がある。そんな中で人種や宗教、セクシュアリティに関わらず、わけへだてなく接してくれる人たちもいる。権利を求めて活動する人もいる。自分も一緒に世の中を変えていく力になりたい。そう思うようになりました」
 2015年、日本に戻ってきた。そしてLGBTのイベント『TOKYO RAINBOW PRIDE 2015』という公の場で、清貴はマイクに向かって堂々、カミングアウトした。