6月30日、4年ぶりに指揮する曲の中に、モーツァルトの『グランパルティータ』(俗称『13管楽器のためのセレナーデ』)がある。管楽器大集合の大作だ。宮本はオーボエ奏者のとき、何度も演奏したことがあるという。
 そう言えば、こんなことがあってさ、と、宮本文昭は話し始めた。
 まだ20歳にもならない頃、ドイツで貧乏留学生として過ごしていた彼は木管アンサンブルの一員に選ばれ、約2ヶ月をかけ、中南米の各地を公演した。途中、ベネズエラのカラカスからマラカイボへと向かう飛行機に乗り込もうとしたとき、地元警察が宮本の手荷物の中から、1本のナイフを発見したのだ。宮本は不審者として取り囲まれ、滑走路の端っこまで連行されたという。
「当時は機内に持ち込む荷物に関して、それほどうるさくなかった。オーボエのリードを削るための大事なナイフなので、バッグに入れておいたんです。知らない人が多いと思うけど、オーボエ奏者は自分で葦を削ってリードを作り、それを楽器につけて、吹くんですよ。音楽家であると同時に、リード職人でもあるんです。でも、カラカスの空港ではいくらそう説明しても信じてもらえなくて、〝だったらここで削ってみろ〟と言われた。機関銃の銃口に狙われながら、ガクガク震える手で削ってみせました。すると今度は、〝じゃあそれを使って吹いてみろ!〟って。でもそんな中でちゃんと吹けるはずがない。〝シューッ、シューッ〟って空気が漏れるばかりで(笑)」
 仲間の力を借りてなんとかその場を切り抜け、無事、2ヶ月間で32回のコンサートを打ち上げた。
「そのツアーで毎回毎回吹いていた曲が『グランパルティータ』で、今回、その曲を振るんです。偶然ですけどね、とても懐かしい曲なんです(笑)」
 そこから紆余曲折、いろいろいろいろあった上で、宮本はドイツの交響楽団の首席オーボエ奏者として活躍してきた。管楽器全体のピッチをコントロールするという重要な役割を持ち、しかもオケ全体のムードメーカーでもあるオーボエ首席奏者は、いわばオーケストラの花形的存在。クラシックの本場で宮本は、スター的存在だった。
「僕に才能があるとすれば、それは音楽のフレーズを作ることです。オーボエはメロディしかないですから、そのメロディラインをどう吹くと自然になるか。印象的になるか。誰もやったことのないものになるか。僕はほとんど閃きだけで作れるんです。しかも、同じ曲で何パターンも。指揮者の棒の振り方を見て、あ、この人はこういうのが好きなんだ、とわかると、じゃあこうやって吹くとこの人は喜ぶだろうな、と、わかるのが僕なんです。その空想力も、僕の才能かな(笑)。そうするとね、卓越した指揮者は、僕のほうを見てニヤッと笑うんです。あ、気に入ってくれたんだな、とわかる。するともう、僕は何を吹いてもよくなる。そのキップを手に入れる瞬間なんですよ」
 そんな彼が30余年の活躍の後、突然オーボエ奏者を辞め、日本に帰国することを決めた。
 日本の音楽家の卵たちに、自分が試行錯誤しながら獲得した音楽の知識や経験を、教育を通じて残すため。ヴァイオリニストを目指す次女の笑里さんに、日本で音楽教育を受けさせるため。そしてなりより、自分の演奏がピークのうちに、惜しまれながら辞めるため。引退後、いろいろな理由を語ったけれど、何よりもその潔い退場の仕方は衝撃的で鮮やかで、カッコ良かった。