HPのプロフィールによると、父親は医師で、3人の兄は医師と医療関係者。自身はテノール歌手で、一見イケメン。なんか、エリート系ですか?
「あ、そのプロフィール、めっちゃ誇張されてますから。僕のこと知ってる人はみんな言うんです、なんやねんお前、お前そんなヤツちゃうわいって(笑)」
 中学生のときに目指していたのは、競馬の騎手。体重44キロを超えると競馬学校の受験資格を失うので、中学3年間、ずっとダイエットして38キロ、体脂肪率4%をキープしていたという。彼が受験したその年は全国から約600人が受験し、橋本恵史は最終試験の50人の中に残った。
「そこから千葉の競馬学校の寮で3泊4日の合宿試験があるんですけど、そこで出される食事がめちゃくちゃおいしかったんです。僕は毎食それを完食してたんですよ。でも他のみんなは、ちゃんと自分でカロリー計算して食べる量を自制していた。そういうとこ、チェックされていたんですね。結局僕は体重2キロ増やして、あえなく不合格でした(笑)」
 高校時代に熱中したのは、ラグビー。50メートルを6秒フラットで走る彼は、有望な選手として注目され、あの菅平の合宿にも招聘されるほど。
「でも行ってみたら、みんな規格外の選手ばかりで。その合宿で練習中、僕の奥歯はパーンと飛んでいきました。奥歯とともに、心も折れたんです(笑)」
 高校2年の冬、父親に訊ねられた。「お前、これからどうすんねん?」
 橋本は具体的な答を返せなかった。そこで、子どもの頃可愛がってくれていたピアノ教師に相談に行ったところ、勧められたのが音楽大学。
「声楽科に行ってみたら? と。オペラなんて面白いわよって言うから〝俺は男や!〟って答えてました。僕、オペラは太ったオバチャンが大きい声出すもんやと思うてたんです。違う違うって、その先生にひととおり、オペラというものを説明されて、うん、じゃ、やってみるって答えたら、じゃあ早いとこレッスンせな、って。それで音楽大学入りました」
 とはいえ、入学した大阪音楽大学では、コンプレックスに打ちひしがれる日々が続いた。
「下手クソだし、クラシックなんて何も知らないし、人前で歌うのも苦手でしたし」
 ところが3年生のとき、授業でドイツリートを歌ったときのこと。橋本は歌いながら、涙が止まらないほどの感動を覚えた。
「歌詞とか、メロディとか、内向的でセンシティブで、すごい自分にしっくり来たんです。その感動が忘れられなくて、この道を続けてみようと思いました」
 卒業後はドイツに留学。さらに研鑽を積んで、今やテノール歌手に。オペラもミュージカルも、なんにでも対応できる歌い手となった。本当に、人生ってわからない。