田崎が日本に戻ったのは、古き良き日本に憧れたから。外国人がジャパンに興味を持つのと同じ感覚で、心惹かれたのだという。生まれ故郷の東京にはスタジオだけ残し、美しい自然に囲まれた南アルプスの見える土地に自分で設計した家を建てて住み始めた。
その家は、日本の土間、畳、スイス風のテラス、ニューヨーク風の広いロフト等が混在する家だ。
「私だけの世界を作りたかったんです。山奥だし田舎だけれど、近隣に住む人たちも素晴らしい人たちばかり。私の故郷を見つけた、という感じですね」
 だがその1年後、田崎は体調を崩した。
「一時期、半身不随になりました。そのとき思ったのは〝ああ良かった、もうピアノを弾かなくていいや〟って(笑)。けして絶望的にならないんです私、なんでも面白い。その病院には素晴らしいリハビリの先生がいて、その先生がピアノを弾くということはどういうことか勉強してくれました。私も負けじと頑張って、そうしたら半年後にはまたピアノが弾けたんです。ですから世間の人は私がそんな病気だったとは、気が付いていないんじゃないかしら。それだけじゃない、今までにも何度か「明日だったら天国行き」的な病気をしてるけど、そのたびに生き返って、そのたびによりパワフルになるんです、私」
 とはいえ、その病気の経験は、彼女のピアノに大きな影響をもたらした。
「結局ピアノは手が弾くのではなくて、心が弾くんだって、強く思いました。作曲家とのコミュニケーションと曲への思いが強ければ、手なんかついてくるの。そして、もうそういう年齢でもあるし、取りかかっていたCDを自分の集大成にしようかと思ったんです」
 その時出来たのが、ブラームス、ベートーヴェン、シューベルトという三大巨匠が最期に作った曲を演奏する『三大作曲家の遺言』。世界的にも高く評価され、各方面に波紋を広げた。この成功を受けて今年はショパン、シューマン、リストを取り上げ『三大作曲家の愛と葛藤』を演奏していくという。
「『遺言』はある意味、自分の遺言でもあると思って演奏したんです。これをやってしまえば、あとはもう楽な人生を生きようかなって(笑)。でもまたムラムラと欲が出てしまって。『愛と葛藤』はもっと自由奔放で血と涙と炎と愛に満ちていて、私の色かな、と思いますし」
 クラシックのことはよく知らない。ピアニストの実態もわからない。でも田崎のピアノを聴いていると、ひとつひとつの音に血が流れ、体温のような温もりがあるのがわかる。感性に裏打ちされたテクニックが、曲に込められた想いを伝えてくれる。
「先のことは考えていませんけど、とりあえず、ハートいっぱいに弾きます、これからも」

  • 出演 :田崎悦子  たざき えつこ

    桐朋学園音楽科高校卒業後、フルブライト奨学金を得てニューヨーク・ジュリアード音楽院に留学。卒業後30年間国際的に演奏活動を続けた。1971年ヨーロッパデビュー。72年カーネギーホールデビュー。79年世界的指揮者ゲオルグ・ショルティに認められ、シカゴシンフォニーとデビュー。サヴァリッシュ、スラットキン、ブロムシュテット、小澤征爾など世界第一線の指揮者と協演。日本でもN響をはじめ各地のオーケストラと協演。2015年には『三大作曲家の遺言』シリーズでベートーヴェン、ブラームス、シューベルトを演奏、絶賛を浴び、NHKBSプレミアムにて複数回放送中。アメリカワシントン大学教授、東京音楽大学教授、桐朋学園大学及び同大大学院特任教授歴任。2002年よりピアノ合宿『Joy of Music』八ヶ岳と奈良、カワイ表参道「パウゼ」にてシリーズ『Joy of Chamber Music』『Joy of Music40+』総合ディレクター。
    ホームページ http://www.etsko.jp/

    田崎悦子・ピアノリサイタル『三大作曲家の愛と葛藤』
    前編5月26日(土)2:00開演 後編10月13日(土)2:00開演 
    東京文化会館小ホール 問い合わせ先 カメラータ・トウキョウ03-5790-5560

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  • 取材/文:岡本麻佑

    国立千葉大学哲学科卒。在学中からモデルとして活動した後、フリーライターに転身。以来30年、女性誌、一般誌、新聞などで執筆。俳優、タレント、アイドル、ミュージシャン、アーティスト、文化人から政治家まで、幅広いジャンルの人物インタビューを書いてきた。主な寄稿先は『éclat』『marisol』『LEE』『SPUR』『MORE』『大人の休日倶楽部』など。新書、単行本なども執筆。

  • 撮影:萩庭桂太

    1966年東京生まれ。東京写真専門学校卒業後、フリーランス・カメラマンとして活動開始。
    雑誌、広告、CDジャケット、カレンダー、WEB、等幅広いメディアで活動中。
    ポートレート撮影を中心に仕事のジャンルは多岐にわたる。
    「写真家」ではなく「写真屋」、作家ではなく職人であることをポリシーとしている。
    雑誌は週刊文春など週刊誌のグラビア撮影を始め、幅広い世代の女性ファッション誌の表紙を撮影中。
    http://keitahaginiwa.com/